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アラ還乳がん4回目EC療法後

『自分たちで苗を植えたんでしょうが』と 野菜に言われそうだと思いながら、オットが始めた家庭菜園で出荷調整できずにあふれ出す万願寺唐辛子を退治するように、ちりめんじゃこと万願寺の煮びたしを作る。
そんな朝に、義母が亡くなった。

連絡があってすぐに病院に着くと、仕事着のオットはもうベッドサイドにいて、母親の顔を覗き込んでいる。
病院側とは何度も、何かあっても延命処置はしないと文書も交わしていたのに、私が到着した時は、自動心臓マッサージ機が規則的な音を立てて義母の胸を押していた。しかも経鼻挿管までされていて人工呼吸器につながっている。87歳ぞ。
『止めてください。今すぐに外してください。』

あとで思えば、その時の私はものすごい形相だったに違いない。

予定抗がん剤治療の最後のクール、EC4回目の私の治療は、主治医の学会の都合とやらで前回終了時より、1週間遅れて実施となった。間隔があいたせいか、私の場合は、回数を重ねるごとに一番つらかった胸の絞扼感やら全身の疲労感はましになっていて、吐き気止めの頓服を飲んだりしながら、なんとか、通夜と告別式は執り行えた。
日頃合わない親族とも会い、電話で話もする。
つぎ会えるのはいつだろう。次話をするのはどういうときだろう。ぼんやり、考える。


いつの間にか、祇園祭の後祭りも終わっている。
義父の急逝の時も祇園祭の準備中の鉾の横をスクーターですり抜けて病院に行ったっけ。
父も一昨年の7月に逝った。

あの時にこうしておけばと思わずに済むよう、皆、心は整えていたつもりでも いざとなると それぞれの思いが入り乱れる。
別れの儀式のたびに、近づく自分の最期も思いがめぐる。

生きたいと強く思うより、死にたくないとは思う。
家族と一緒にいたいし、味覚障害が落ち着いたら美味しいものも食べたい。素っ頓狂なオットに腹立たしい時もあれば、何の恩着せがましいところもみせずにさらっとやっているのを見ると私よりよほど オットは強いと思うし優しい。
かねがね、私の職業柄、脳血管障害で倒れたのオットの看病をしている自分を妄想していたが どうやら、介護してもらうのは私の方が先かもしれないとしんみりする。

でも裏返った5本指の靴下が、ソファのクッションの間から出てきたら、ほんま、むかつくのよ。洗濯が終ってカゴが空になったあとなら、なおさら、腹立つねんわ。

出てきた靴下を指でつまみながら、量産された冷蔵庫の梅おにぎりを思い浮かべる。オットよ。私の梅期は、3回目のEC療法時に終わっているんやけど・・・。

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