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病名確定 投薬開始

好酸球性多発血管炎性肉芽種症 闘病記その7

3日間のプレドニンパルス点滴 スタート
後から医師から聞いた話によると
1日、2日目のデータが思わしくなくかなり焦ったとか。
でも3日目でやっと薬の効果が出て好酸球値がや
炎症値が下がった
このプレドニンパルスが効かないとなると相当ややこしい事になってたらしい
「あなたの勝ち」と言う表現が印象的だった
プレドニンパルス後は経口薬が始まる
自宅から持ち込んだいつも飲んでるアレルギー系の薬 点鼻薬 喘息吸入 はそのまま使い
錠剤でプレドニン1日8錠
バクトラミン メチコバール
トアラセット ランソプラゾール リフレックス
点滴からの痛み止めもまだ頼りっきり
この頃になると熱も下がりずっと苦しめられていた
みぞおち付近の痛みがやっと和らいできた

食事も少しずつ取れ血管炎の痛みが和らぎ、
めでたく起き上がり動く事が出来るようになった
やっと元気になれる気がしてきた
ここで大問題
今まではただベットから動けず寝てるばかり
看護師さんがなんでもやってくれたから
気が付かなかった
私うまく歩けない!
何気に移動を試みるも転んで頭を床にぶつける
患者が転倒なんて事が看護師にバレたら
看護事故でナースさん達に迷惑かけるし、痛みをこらえとりあえず隠れる
手が動かない!
薬を飲もうとしても袋が開けられない
スマホもろくに打てない
この頃からメンタルの崩壊が始まる
普通にできた事が何もできない 全部できない
一日中涙がポロポロ出てきて止まらないの
難病って何よ?
治らないから難病って事か?
このままずっと動けないの?
もしかして死ぬのか?
仕事は?
夢は?←人生がひっくり返る程の大きな夢が叶ったばかりだった 
家族はどうなる?
意味わからん。なんで私が?
私の母は48歳という若さでこの世を去った
今私は45歳
母も今の私の年齢の頃は苦しい癌の闘病を続けていた
母が逝ってからもっとできた事があったんじゃないかと自問自答をずっとしていたが、
自分が闘病の苦しみを知り心が潰れそうに苦しかった

病名確定と主治医が決定し総合内科病棟にお引越しが決まる 病棟変更が凄く嫌だった
ワンワン泣いて争った 絶賛メンタル崩壊中
(この時精神科リエゾンチームが私に発足)
産婦人科病棟の看護師さんたちが優しすぎたのと、
男性がいるフロアに行くのが嫌だった 
今までの入院経験上とにかく嫌だった
そんなワガママ通るはずも無く、妊婦さん用のビーズ枕を特別に貸してもらい涙涙のお引越し
今思えば本当に産婦人科病棟の看護師さん
あの時ゴネてすみませんでした
総合内科病棟での本格治療が始まる
環境が変わる 心細い 病気怖い
何より家族に会いたい