生と死の境界は?
私は昔から一つの疑問を持っていました。それは生と死の境目についてです。
今回はどこからどこまでが『生』で、どこからが『死』なのかを考察してみたいと思います。
サイボーグとアンドロイド
『人間の脳』が、人間に似せた人造の体を動かしているのがサイボーグなら、人間そっくりな人造の体と人造の脳を持ったロボットがアンドロイドとしましょう。
『サイボーグ』は脳があることで、『人間』と認識されると思います。
したがって人権や戸籍も存在するでしょう。
『アンドロイド』は人間そっくりだと言っても所詮は人造なので物扱いとなります。
誰かが所有権を持ち、廃棄するときは『死』ではなく『処分』となることでしょう。
脳が人間であることの証か?
それならば、人造の体のなかに心臓だけ人間のものだった場合は『サイボーグ』(=人間)となるでしょうか?
たぶんならないような気がします。
意思を持ち、考察する。これは脳のなせる業です。(最近は異論もあるようですが、今回は考慮しません)
つまりものを考えることのできる器官(=脳)が有ることが、人間であることの条件なのだと仮定します。
脳が損傷した場合
例えば事故で脳の一部が損傷した場合ですが、損傷した部分だけを機械で機能を補えたとします。
例えば10%を機械で補った場合ですが、これは人間だと言えるのでしょうか。
「10%なら、人間だろう」という意見が聞こえそうです。
ならば80%が機械の脳ならばどうでしょう。
別の見方をすれば、10%なら人間として生きているが、80%ならもはや死亡していると考えても良いのか、ということです。
「いやいや、80%でも生きている。少しでも脳が機能しているなら生きている状態だ」という声もありそうです。
どこからが生と死の境目? サイボーグとアンドロイドの境目?
先ほどの話の続きですが、脳が99.999999%損傷していても、0.000001%機能していれば生きていることになるのでしょうか。
脳が99.999999%損傷していても、0.000001%機能していればアンドロイドではなく、サイボーグだと呼べるのでしょうか。
人に魂があるとして、また死後の世界から現世が見えるとしたら、ほんの少しだけ自分の脳が残ったアンドロイドが、『自分』として闊歩し、生活しているのが死後の世界から見えるのかもしれません。
それともほとんどが機械の脳になっても、ほんの少し脳が残っていれば、機械の体を持った自分を「現世でこうして生きている」、と認識できるかもしれないとも考えられます。
一体何%残っていればあの世に行かずに済むのでしょう?
結論は出ず
訳の分からない記事になってしまいました。
子供の頃からこんなことばかり考えていましたが、なぜだか今日不意にこの疑問を思い出した次第です。
考えても結論は出ませんし、頭が痛くなってくるので忘れてください。
訳わかんない記事でゴメンナサイ。
今宵は良い夢を。
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