見出し画像

首塚

日本各地に首塚なるものが存在します。

私も何か所か行ってみましたが、独特な息詰まるような雰囲気の場所がほとんどで、行ってみたというよりも、気付いたら首塚がそこにあったという感じでした。

今回はそんな首塚を数か所、ご紹介いたします。

将門塚

平将門の首塚を知らない人はいないでしょう。彼は私腹を肥やす中央(京都の朝廷)の天下り役人を追放し、武力で関東を治めて領民の暮らしを楽なものにしました。

関東の領民の信頼は厚く、兵も精強だったため『関東独立国家』ともいえる勢力圏を確立して京都に対抗しました。

しかし、武運つたなく敗れて京都で首を刎ねられたのです。
首は目を見開き「わしの胴体はどこだ!」と叫び、空を飛んで東京の大手町に落ちたと言われています。

大手町のビル群に囲まれた「将門塚」 彼は関東のヒーローだ!

まさに首が落ちた場所が現在の『将門塚』です。
以前は「首塚の場所を変えるとたたられる」と恐れられていましたが、今では関東の守護神として、大勢の人が毎日参拝に訪れています。

全く恐ろしい感じのしない場所ではありますが、ぞんざいな態度をとる人はいませんし、私自身も背筋が伸びるような緊張感のある場所であると感じました。

蘇我入鹿の首塚

20年前のこと、奈良興福寺の『阿修羅像』を見たくて奈良県旅行をしたことがありました。
その後、『石舞台古墳』を観に明日香村へやって来ましたが、チャリンコで適当に走っていると、きれいなお寺が見えてきます。

なぜか立ち寄りたい気持ちが強くなり、ソワソワしてきたのでそのお寺によってみることにしたのです。
お寺は『飛鳥寺』というお寺でした。

本堂の飛鳥大仏などを見学しましたが、裏庭の方が気になって仕方がありません。
裏に回ってみると、石塔が建っていて『蘇我入鹿の首塚』と書いた案内板がありました。

乙巳の変で首を討たれた、蘇我入鹿の首塚とされている

入鹿の首塚は観光客の目に触れにくい裏庭にあったため、周りには人影がありませんでした。
とても重苦しい空気感があり、心が沈みそうになったので早々に退散しました。

入鹿の首塚が何を訴えたかったのか分かりませんが、ここに呼ばれた気がしたのは紛れもない事実です。

安国寺恵瓊の首塚

京都在住の先輩のツテで祇園のお店に行った時のこと、舞子さんが「近くの建仁寺はんに首塚がありますえ」と教えてくれました。

その日は本物の舞子さんと遊んだことでフルテンションでしたが、あくる日の朝、建仁寺にあるという首塚が気になって行ってみることにしたのです。
その店の『お母はん』つまり女性主人が案内してくれることになりました。

ハイテンションのまなきねこ&美人の舞子はん
表題の写真が『安国寺恵瓊の首塚』

建仁寺の龍の天井画などを見学し、庭の方に案内されると、片隅に石塔があり『安国寺恵瓊の首塚』という案内板があります。
祇園で顔役の『お母はん』は、首塚の由来を説明してくれました。

それによると、関ケ原で敗北した西軍の指揮官だった安国寺恵瓊は打首となり、六条河原で首を晒されていましたが、気の毒に思った建仁寺の僧侶が首を持ち去り、密かに庭の隅に葬ったとのことでした。

大義を果たせず晒し首となった安国寺恵瓊は、さぞかし無念の思いだったでしょう。しかし、首塚にありがちな心霊現象や祟りなどの話は無く、同じ仏法僧に葬られたことで成仏したのかもしれません。
とはいえ、寂しい雰囲気の空気感がある場所であったことは覚えています。

玉縄首塚

鎌倉のすぐ近く、大船の町は『大船観音』や『田谷の洞窟』で有名な場所です。その大船駅から徒歩で10分程度の所に『玉縄首塚』があります。

ここも何となく歩いていたら行き着いた場所でした。
戦国時代には近くに玉縄城という砦があり、戦国の雄北条早雲公の孫が城主として守備についていました。

一方、海に生活の場を構え、水軍を率いた里見一族は北条家とは利害が相対する一族です。
当然両者は三浦半島付近で相まみえ、ここ玉縄でも激しい合戦が繰り広げられました。

ある日の合戦で両者に多数の死者が出て、両軍の打ち取られた首の数は北条方30数首、里見方は数が分からないほどだと言われています。

大雨、大風の『玉縄首塚』 
関係ないが、大船には『こぶた山』というバス停がある🐖🐽

その後両軍は首を交換して、玉縄の地に葬ったと言われています。
玉縄首塚は住宅地の脇にあり、そのせいか怖いという感じはしません。

この日私は横須賀に軍艦見物に行く予定でしたが、予報に無い突然の大風、大雨に見舞われて、大船で足止めを喰らいました。
軍艦見物クルーズが中止になったとの連絡が入り、つまらないので大船をぶらぶら歩いているうちに行き着いたのです。
「ここに来い、まなきねこ」と呼ばれたのでしょうか。

首塚はそれぞれの雰囲気

今回ご紹介した四か所の首塚は、どれも異なった雰囲気の場所でした。

『将門塚』は凛とした雰囲気の聖地という感じでしたし、『蘇我入鹿の首塚』は、重苦しい雰囲気を押し出しています。

また、『安国寺恵瓊の首塚』は寂しい感じがする場所でしたし、玉縄首塚は何かに圧倒される感じの空気を出している場所でした。

いずれにしても首になることを良しとする人は、今も昔もいないと思います。
遺恨をこの世に残さずその地の守護神となるか、あるいは成仏して生まれ変わって欲しいと思わずにはいられません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?