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縄文旋風 第9話 シロのイエのクンヌ

磐座(いわくら)の上に、ヌリホツマとハニサは座っていた。
「シロクンヌ、こっちから登れるよ。」
ハニサが指さした方に回ってみると、ちょうど石段のようになっていた。これなら子供でも登れそうだ。シロクンヌが磐座に登ると、ハニサが敷いていた毛皮を横にずらした。そこにシロクンヌもハニサと並んで座った。
「月浴びは、もういいのか?」
月浴びとは、子を宿したい女が行う儀式であった。と言ってもただじっとしているだけだ。満月の夜に、できるだけ薄着をして、場合によっては全裸で月光を浴びるのだ。そうすれば子が宿りやすい、元気な子を産める・・・ そう信じられていた。今のハニサは先ほどと同じ服装であった。
「うん。裸になって、たっぷり浴びたよ。これ、あったかいね。早く陽の光りで見てみたい。」
ハニサはシロクンヌからもらった貝染めの糸で編んだ布を首に巻いていた。美しい紫色なのだが、ハニサはまだ昼間に見ていないのだ。巻貝のアカニシ貝やイボニシ貝の活きた体液を採取して浜辺で染めるのであるから、ウルシ村のある中部高地では見慣れない色であった。

「まず、明日の作法を伝える。」
ヌリホツマが厳かに切り出した。
「シロクンヌは森からの帰りに、飛び石の河原で沐浴をするのじゃ。」
「どうせ汗をかくだろうからな。そのつもりでいたよ。」
「ふむ。その後ハニサと落ち合って、二人で大ムロヤの神坐に向かえ。神坐に、わしが二本の縄を供えておく。
男縄(おなわ)をシロクンヌが持ち、女縄(めなわ)をハニサが持つ。そして二人で絡(から)み縄を綯(な)うのじゃ。」
絡み縄とは、蛇が交尾する姿を模した縄だ。ここでは祝福された受胎の象徴の意味が込められていた。その絡み縄を現代人が見たとしたら、注連縄(しめなわ)だと思うだろう。
「それから神坐にお参りし、ハニサのムロヤに向かえ。そしてムロヤに入る前に、絡み縄をムロヤの入口の上に掛けるのじゃ。渡すように掛けるのじゃぞ。その後も絡み縄は決して外してはならぬ。よいな?」
「ああ分かった。ハニサ、宿ると良いな。」
「うん。ねえシロクンヌ、シロクンヌは御山から来たの?」
「いや違うぞ。おれは御山をこんなに間近に見たのは、今日が初めてなんだ。」
「そうなんだ。あたしはね、村から出たことって、あんまりないの。子供の頃は体が弱くてね、ヌリホツマに何度も寝ずの祈りをしてもらってたんだよ。」
「そうだってな。ハギに聞いたよ。今はもう、丈夫になったんだろう?」
「うん。ヌリホツマのお陰だよ。」
「シロクンヌや、そなたも薄々は気付いておろう。ハニサは特別な娘じゃ。わしの祈りなどは添え物に過ぎぬ。天がハニサを生かしておった。」
「天が?」
「ああそうじゃ。そしてそなたとこうして出会った。三月の間、ハニサを頼むぞよ。」
「ふむ。ハニサ、仲良くやろうな。」
「うん!」
「ところでシロクンヌ、ハニサは特別じゃが、そなたもただ者ではあるまい。ただのタビンドであろうはずがない。いや、タビンドというのも仮の姿じゃろう。
おそらくは・・・ アマカミ、そう、アマカミに連なるイエの出であろう。」
畳み込まれて、一瞬シロクンヌは応えに窮した。
「え?イエ?イエって特別な血筋なんでしょう?トコヨクニにいくつも無いって聞いたよ。」
いきなりな展開に、ハニサも驚いてシロクンヌを見た。
「八つだな。イエは、八つある。」
覚悟を決めたように、シロクンヌは話し出した。
「初代アマカミのクニトコタチ、クニトコタチの名は、ハニサも聞いたことがあるだろう?」
「知ってるよ。栗の栽培の仕方を教えてくれた人だよね?あと、ムロヤの作り方も。一番最初のアマカミになった人。」
「ああそうだ。ムロヤに住み、栗を育て、人と人とが争わずに暮らしていくにはどうすればいいか・・・ クニトコタチはそれを考え出し、八人の息子達に教えた。そして息子達に、トコヨクニの人々にそれを伝えよと命じた。
はるか昔の話だぞ。
息子達は伝道者となって、トコヨクニに散らばっていった。クニトコタチの八王子と呼ばれる人々だ。その八人の血筋がイエであるから、イエは全部で八つだな。」
「シロクンヌは、イエの人なの?」
「ああ、おれはシロのイエの生まれだよ。」
「しかもクンヌであるのじゃな?」
「そうだ。」
「クンヌ?クンヌって?」
「クンヌと言うのは、イエのカミと言うような意味だ。ウルシ村なら、カミはササヒコだろう。おれはイエの中で、そういう立場なんだ。イエの頭領だと思ってくれていい。」
「やはりのう・・・ 天の導きで出会うただけのことはある。
 それで、生まれは北のミヤコであるのか?」
「いや、おれはまだミヤコに行ったことは無いよ。北の方にはあまり行っていない。おれの生まれはヲウミだ。ヒワの湖のほとりのシロの村だ。」
「ヒワの湖か。トコヨクニで一番広いと聞くが・・・
シロのイエのクンヌであるそなたが、旅をしておるのにも何か事情があるのじゃろうが、あまりに立ち入った事を聞いてもなるまい。おそらく、トコヨクニの為なのじゃろうな。」
「あたし、なんだか凄い人を好きになっちゃったんだね。」
「いや、イエと言ったところで、しきたりが厳しいだけで、凄くも何とも無いぞ。おれの方からも一つ聞いていいか?」
「何なりと聞くがよい。」
「この辺りで、ハタレの噂を耳にしないか?」
「ハタレとな。今はこの辺りにおらぬと思うが・・・
まさかそなたの目的はハタレ退治なのか?」
「ハタレってひどい事をする人達なんでしょう?とっても怖いって聞いたよ。ハグレとは全然違うんだって。シロクンヌはそんな人達と戦ったりするの?」
「ハグレは、やったとしても盗みくらいのものだろう。ハタレは平気で人を殺める連中だ。シロのイエの役割は、乱暴狼藉を働く者を懲らしめることにあるんだ。ハタレを見つけたら、ただではおかない。
だが安心したよ。西の方ではハタレが出没するんだが、ここらではまだ少ないんだろうな。」
「以前ハタレの乱が起きたのも、はるか西の方じゃったな。今またハタレに何か動きが見られるのか?」
「いや、大きな動きは無い。ただ数は増えている気がする。分け前が減るから、元々大人数では群れたがらん連中だが、求心力を持った統領が現れたりするとうるさい事になるだろうな。」
「なんかやっぱり、シロクンヌって凄い人なんだ。ハタレと戦うなんて、普通の人には出来ないよ。」
「そうじゃな。じゃが幸いにもここらにハタレはおらぬ。三月の間、骨休めのつもりでのんびり暮らしたがよい。」
「ああ、そうさせてもらうつもりでいるよ。明り壺の祭りも楽しみだ。あとイエの件だが、ここだけの話にしておいてもらえないか。血筋とかで特別視されると、おれも居心地が悪くてな。みんなには普通に接してもらいたいから。」
「うん、分かったよ。誰にも言わない。ヌリホツマも言わないよね?」
「もちろんじゃ。その為に、一人で来るように申し伝えたんじゃからな。
・・・そういうことであったか。ハタレに立ち向かおうなどと言う者など、おりゃあせんと思うておったが・・・イエと言うのは他にどんな者達がおるんじゃ?」
「いやそれがな、シロのイエはなんだか変わっているんだ。他のイエとの交流がほとんどない。ミヤコ住まいのイエが多いと聞くんだか、ミヤコは中の洲(しま)の北の果てだろう。北の洲の近くだと聞く。今のアマカミが、カゼのイエの御出身だということくらいしか知らんのだ。ずっと昔に、ヲウミのシロの村がミヤコであった時があるとは聞くが。」
「なるほどのう。しかしシロクンヌからは旅の話など面白い話がいろいろ聞けそうじゃな。良かったのうハニサ。」
「うん!シロクンヌ、いっぱいお話ししてね!」
「ああいいぞ。明日から毎晩聞かせてやるさ。」
「わー、楽しみだー!」
「天も、粋な計らいをしたもんじゃ。ではハニサ、クズハのムロヤまで送ってゆこう。」
「うん。シロクンヌ、また明日ね!」
「ああ。明日の朝、村を案内してくれ。」

シロクンヌは一人、村の出口まで来てみた。なるほどクズハの言った通りだ。月が高く昇ると御山が浮かんで見えると言っていた。今まさに、森は黒く沈み、その向こうで御山が浮き上がっているように見える。夕映え時とはまた違った不思議な光景であった。
御山の最高峰をハニサは何と呼んでいたのだったか・・・なぜかシロクンヌはそのことが気になった。その峰が光ったとハニサは言っていた。
コタチ山、そうコタチ山と言っていた。確かに最高峰なのにコタチ山とは変な気もする。そんなことを考えながらしばらく佇んだあと、シロクンヌは大ムロヤに向かって歩き出した。
「ハニサは特別な娘じゃ」
ヌリホツマのその言葉が、シロクンヌの胸の中で何度も繰り返されていた。

第9話 了。


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