カート・コバーン〜ポピュラーミュージックの概念を覆した男

皆さんはポピュラーミュージックとはどのようなものだと考えているだろうか?ポップなメロディ、耳障りのいいサウンドや前向きで元気な歌詞などであろうか?

ポピュラーミュージックの代表として今でも語り継がれるのはやはりマイケル・ジャクソンであろう。50代半ばで惜しくもなくなった彼だが、ファミリーバンドとしてジャクソン5でデビューしたのちソロアーチストとして独立した後いくつものベストセラーアルバムを世に出したポップミュージック界のスーパースターである。

超一流のプロデューサーを招聘し、何が売れるのを熟知した超一流のソングライターとアレンジャーを雇い、超一流のミュージシャンがレコーディングに参加する。そのサウンドは豪華絢爛の一言である。彼の最大のメガヒットアルバム、スリラーでは当時世界最高峰のギタリストに君臨していたエディヴァンヘイレンにギターソロを託したビートイットは今だに人々を惹きつけ、エディの花火のように派手なギターソロは全てのギターキッズを今だに魅了している。

そんな時代の後、バンドという単位で音楽を作り世界を震撼させたのがガンズアンドローゼスだった。
しかしガンズの成功には納得できる理屈があった。それは原点回帰。60年代後半から70年代に人気のあったクラシックなハードロックに回帰したサウンドが彼らの爆発的なヒットを引き起こした。
彼らのデビューアルバム、アペタイトフォーディストラクションは瞬く間に全世界で1000万枚を売り大成功を収めた。
時期的にはニルバナが現れたのはその直後だった。
ニルバナのデビュー作、ネバーマインドも瞬く間に全世界で1000万枚を売るヒット作となった。

しかしガンズもニルバナもマイケルジャクソンのような売れる音楽を作るプロフェッショナルが集まって作った音楽とは異なりバンドとして音楽を制作した結果爆発的なヒットを世に出したという点では共通してるが、その爆発的ヒットが生まれた土壌は大きく異なると思われる。

まずガンズの場合、彼らのサウンドを求める潜在的需要が既にあった。既にレッドツェッペリンやAC/DCやその他のオールドスタイルのハードロックは大成功を収めており、マーケットにはガンズのサウンドを受け入れる土壌は既にあったとも言える。
一方でニルバナはグランジロックやオルタナティブと称されているが、当時ニルバナが拠点としていたシアトルではグランジロックは局所的に盛り上がりを見せていたものの、この類のジャンルが世界的に大ヒットした形跡はこの当時はなかった。
グランジ、オルタナティブのルーツの一つはパンクロックなどと言われるがパンクの代表であるセックスピストルズであってもその人気はマニア向けであった。間違ってもアルバムを1000万枚売ったという記録はない。グランジ、オルタナティブに影響を与えたバンドとしては筆者が思いつく限りラモーンズ、ダイナソーJr.などだろうか?その他数多のバンドはあれども商業的に大成功したバンドはなかった。

要するに一般的な音楽ファンにとってグランジやオルタナティブは未知のジャンルでありガンズが受け入れられたような商業的な土壌は存在していなかったのである。
なお蛇足ではあるが、シアトルのグランジ界隈で日本の女性トリオ、少年ナイフが高い評価を得ていたのは日本人の一音楽ファンとしては誇らしい限りである。

このような状況の中、なぜニルバナは世界的なバンドになったのだろうか?単なる目新しさだったのだろうか?しかし目新しさだけでここまでビッグなバンドにはならないだろう。
ご存知の通りカートが書く歌詞は陰鬱である。数多くのヒット曲の歌詞が外へ外へポジティブに出ていくのとは違い、カートの歌詞は内へ内へとこもっていく内容のものが多い。これが当時のアメリカ人の停滞する意識の共感を得たのかもしれない。ロックミュージシャン、カートの言葉としてではなく一アメリカ人カートの言葉として捉えられた部分はあったと思う。
また、アメリカ人の中にはいわゆるあるべきアメリカ人像を無理して演じている人が多く実はそれに疲れ果てているアメリカ人も多いと聞く。アメリカ人は社交的で自信に溢れいつも力強く生きているものだ、これに捉われて無理しているアメリカ人も多いと聞く。そういった層にカートの作る歌詞は共感を得たのかもしれない。

いずれにしてもカートは猟銃による自殺を選んだ。齢27歳である。
今でも他殺ではないか?妻のコートニーが暗殺したのではないか?といった陰謀論が消えていないが、それは誰にも知るよしはないしカートがもうこの世にいないのは事実である。

改めて稀代のミュージックメーカーであり作詞家でありギタリストでありボーカリストであった伝説のロックミュージシャン、カートへ
R.I.P.

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