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優しさと記憶の間で: 知的障害を持つ彼女とのふれあい

彼女の居宅は実にシンプリだ。
家具は最低限。とある公営住宅に住む。

彼女は物がどこにあるか的確に把握している。
「見せたい写真があるの。」と言って、彼女は昔撮った証明写真を見せてくれた。
若い頃の笑顔の写真だ。
小さなビニール袋に入れて、食器棚の引き出しの奥に入っている。
以前見せてもらったアルバムはチェストの一番上の段に置いてあった。

彼女は記憶の箱と同じ様に、sれらの思い出の「物」もあちらこちらに置いている。
しかし、それは彼女の記憶の箱と同じ様に、確かにそこにある。
彼女は何かが必要になっても決して探さない。すっと立ち、的確にその「物」を持ってくる。
昨日のメモは忘れるが、遠い記憶はしっかりとしているのだ。

確かに彼女は人と違うが、決して「悪意」や「妬み」等をもっていない。
職場の同僚が「私につれない」といいつつも、「それは仕方のないことだわ」と言う。
話を効いていて、こちらの胸が締め付けられる。
彼女は何も「私だけを見て」と言いているわけではない。
「少しやさしくしてほしい」だけなのだ。

彼女には幻覚がある。私に「以前、あなたにはひどいことを言ったわ。いけない事をしたの。なのに、今日着てくれて本当にうれしいわ。」といった。
私はひどい事をされた覚えはないが、電話でいつもまでもおしゃべりして私を寝かさなかったのだという。「それは悪いことよ。」と言う。
そんな事実は無いのだ。彼女はすなおに「おやすみなさい」と言って電話を切ったのだ。

彼女自身も最近記憶が歯抜けになって困っていると言っていた。
「薬の影響ではないかと思ってるの。」とも言っていた。
私には何も判断できないから、なんのアドバイスもできなかった。

、もうひとつ私には思うところがある。
彼女はとにかく「謝る」。
「私が悪いの。」「私のせいだから仕方が無いことよ。」
といって、私に謝る。
幾度と無く「謝らないで。あなたは悪くないから。」と言ってはみるものの、彼女はそれにうなずいて、ものの二言三言先には謝罪が始まる。
おそらく、今まで「おまえが悪い」と攻められて生きてきたのだろう。
彼女には「言い訳」が難しいように見える。だからなにかあれば「自分が悪い」と結論ずけるしかないようなのだ。
そんな彼女を見ていると、悲しくなる。

彼女は江ノ島が大好きなのだそうだ。
ただ、瓦屋根が嫌いで、お古い家屋が苦手だという。
そう江ノ島刊行に行くときは鎌倉がついてくる。
「江ノ島には行きたいの。けれど鎌倉には行きたくないの。」
私は彼女と江ノ島に行く約束をした。そして「鎌倉には行かないで置こう」とも。
彼女はうれしそうに嘲笑い、「たこせんおいしいわよね。食べたいわ。」と言った。

人混みが苦手な彼女と秋口に江ノ島に行く約束をした。
「ロマンスカーはどう?」といったら、「素敵ね。豪華だわ。」と言った。

彼女が好きな歌は
竹内まりあの「駅」
だそうです。
私はその歌にこの曲を合わせて聴きたいですね。
山崎まさよし「One more time, One more chance」
次の機会に彼女に聞かせるつもりです。