見出し画像

鏡の中の音楽室 (3)

第一部 さくら と まゆ

第二章 秘密の時間の終焉


 あれから、さくらとまゆの二人は日に日に仲良くなっていった。さくらはまゆに鍵盤のたたき方も教えた。そして、いわゆる連弾のようなものを、二人は自然にやるようになっていたのである。二人はピアノの前に並んで立って、さくらが鍵盤の右側とペダルの右側を担当し、まゆが鍵盤の左側とペダルの左側を担当したり、その逆を担当したり、毎日わずかな時間だけれども、いろんな曲を一緒にピアノで弾いた。その素晴らしいメロディに、部屋のそばを通る先生方も思わず足を止めていた。

 今日も二人がお迎えを待つ間、二人はいつものようにピアノを弾いていた。

「まゆちゃん。『きらきら星』の和音をこっちで弾いて。さくら、やってみたいことがあるんだ」

「わおんってなに?やってみたいことって?」

やっと、片手だけでピアノの鍵盤をたたくことになれた まゆには好奇心しかなかった。

「和音はね。この音とこの音とこの音を同時にたたくんだ。これを3つ順番に弾ける?」

さくらはC(ド、ミ、ソ)F(ド、ファ、ラ)G7(シ、レ、ファ、ソ)の3種類の和音(コード)をまゆに教えた。

「さくらちゃん、まゆ、指届かないよ。両手なら何とかなるけど・・・」

まだ体の小さなまゆたちにとって、片手で和音をたたくというのは無理があった。さくらでさえもG7(シ、レ、ファ、ソ)はほとんど成功しなかった。しかも初見である。かなりの難易度である。けれど、二人で演奏するなら、一人が両手を使えば十分弾くことができる。

「両手で弾けば簡単だね。合わせるの難しいけど、普通に引くよりすごく上手に聞こえるね」

今までは主旋律だけだったのに、和音が加わると曲に深みが出た。さくらはそれを知っていたし、まゆは自然とそれに気が付いた。
二人の息がだんだんあってきたとき、さくらを叱る大きな声が聞こえてきた。

「さくら!何をしている!」

その日、祖母はたまたま用事で迎えに来られなかった。その代わりに、めったに迎えに来ない祖父の勇が、いつもの時間より早めに来た。久しぶりの迎えとあって、どこに行けばいいのかわからなかった。どこかで誰かが弾いているピアノの曲を耳にしながら、入り口付近の職員室を訪ねた。

「お世話になります。安達です。さくらを迎えに来ましたが、どこでしょうか?」

すると、何かを記入していた若い女性の先生がすぐに立ち上がって出迎えてくれた。

「あっ!こんにちは。今日はおじいちゃんがお迎えに来て下さったのですね。今、いつものようにピアノを弾いているんですよ。すごく上達しているので、私たちもこの時間BGM代わりに聞きながら作業をしているんです。」

保育士の先生はにっこり微笑んでいたが、勇はそのほのぼのとした空気とは違う疑問を感じた。

(「この曲の和音なんて、さくらにはまだ使わせていないはず・・・・」)

さくらとまゆが二人でピアノを弾いている部屋に入ると、二人の演奏を見るや否や、勇は大きな声を上げた。

「さくら!!何をしている!!」

ここにいるはずのない祖父の大きな声と、許された楽曲以外を演奏していたこと、まゆに和音を押し付けたことなど、いろいろな禁止事項が頭に浮かび、さくらは動けなくなって、演奏が途切れて和音が2つ鳴って音が止まった。ついに、見つかってしまったのである。

勇は怒った声で言った。

「おじいちゃん!ごめんなさい!ごめんなさい。ごめ・・・・」
振りむいて謝り続けるさくらの言葉をさえぎって、勇はつづけた。

「何をしている?って訊いているんだ!」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ご・・・・・」

これ以上、さくらから何も言葉が出ないと確信した勇は、いつも口調に戻って質問を変えた

「この曲はお前には早すぎる。家では禁止したではないか」

「ごめんなさい。でも、どうしても弾きたかったの」

さくらは涙ぐんだ。

「どうしても弾きたかったのか。それはどうしてだ?さくらは、私が言っていることをわかってくれていたはずだ。成長期は体に合った曲を演奏しなければ変な癖がつくといつも言っているだろう。わかってくれてなかったのか?」

勇は少し強く訊いた。

「さくらはいろんな曲を弾いてみたいの!おじいちゃんやパパみたいに心に響くのを弾きたいの!気持ちが震えるようなの!」

さくらは思っていたことを、素直に勇にぶつけた。勇はさくらの言葉に少し驚いた。そして、隣に座っているまゆに目をやった。

「(気持ちが震えたい!?)えっと、君は誰だ?」

勇はまゆに尋ねた。

「私はまゆです。さくらちゃんとピアノを弾いてました」

まゆは恐るおそる答えた。すると、勇の表情が少し複雑な顔になり、その後、少し時間があいて、優しい口調で

「お名前は何ていうんだい?何、 まゆちゃんっていうんだい?」

勇の口調の変化に、まゆは驚きながら

「藤田まゆです。さくらちゃんは友達です。」

としっかり答えられた。それを聞いた勇は、かなり驚いた表情を見せながら

「そうか・・藤田まゆちゃんっていうんだね。さくらの友達なんだね?一緒にピアノを弾いていたのか。なるほど・・・君もピアノが好きなのか?」

勇はまた厳しい表情に戻った。

「はい、大好きです。でも、家にピアノがないの。で、まゆは一人ではまだピアノが弾けないの。けど、さくらちゃんに教えてもらったところを押すだけで、まゆもピアノを弾いてるみたいになるの!まゆも、さくらちゃんと同じようにピアノを弾きたいの!」

まゆはありったけの気持ちを込めて勇に訴えた。
勇はまゆの言葉に驚き、二人の顔を見比べて考えた。

「そうか。君達は本当にピアノが好きなんだな」

勇はしばらく沈黙した後、

「わかった。まゆちゃんの迎えはいつ来るのかな?」

今度は優しくまゆに訊ねる。

「6時ぐらいに、お母さんかお父さんが来ます」

「よしそれまで、私が二人にピアノを聞かせてあげよう。」

二人は意外な展開になったと感じた。さくらは、もっと叱られるだろうと思った。一方、まゆは本格的なピアノ演奏が聴けると期待に胸をときめかせた。

「その前にさくら、両手で和音をたたくピアニストを見たことがあるかい?」

「ない。・・・」

「もし、まゆちゃんにその癖がついてしまって、うまく弾けなくなったらどうするんだ?それに、和音は曲の表情だ!和音を他人に任せていたら、一人で演奏するときに、うまくその曲の表情を出せるか?。さくら。お前はその表情を切り替えられるか?ふたりがやってたことは、まゆちゃんが表情を出して、さくらがお話をしているってことなんだ、聞いている人はどっちに注目すればいいんだ?」

「そうです。おじいちゃんのいう通りです。私たちがみなさんにお話を聞かせるとき、二人でお話をしてないでしょう?」

突然優しい声が聞こえてきた。園長先生だ。

「最近、二人のピアノが上達したと思って先生たちも聞いてたけど、バラバラなお話だったのですね。でも、二人の演奏は悪くなかったわ。けど、それで悪い癖がついてしまったら、私たちの将来の楽しみがなくなっちゃう」

お話を使った「たとえ」と、園長先生のやさしい声でさくらは納得した。

「まゆちゃんのパパかママが来たら、さくらとまゆの二人にピアノを教えたいとおじいちゃんから頼んでみるからな。それまで、表情のあるお話を聞かせてあげよう!」

と、勇は言いながら、前にさくらが弾いていた「テレビ番組の主題歌のバイオリンの曲」だった。驚く二人をよそに、その時刻に幼稚園に残っていた先生たち、子どもたち、お迎えに来た保護者の人たちが集まってきて、リサイタルみたいになった。

「(これだ。この曲をさくらもこんな風に弾きたい!)」

さくらは心の中でそう叫んだ。

勇は市内でも有名なピアニストで、市のお祭りや成人式などでよく演奏する人だった。昔は全国のコンクールでも賞を取っていた。そんな有名人の演奏だから、自然とギャラリーも増えた。
2曲目の「ジュピター」が終わって、3曲目は「見た目は子供で有名な探偵アニメの曲」を演奏し始めた。これは勇の子どもたちへのサービスだった。子どもたちや若いお母さんたちは大喜びだったが、さくらとまゆは予想外の展開となって、自分たちの演奏が稚拙で未熟であったことを思い知らされていた。

そうしているうちに、まゆのお母さんがお迎えに来た。勇は演奏を終えて大きな拍手受けた後、すぐに、まゆのお母さんに歩み寄った。

「藤田まゆちゃんのお母さんですか?私は安達勇といいます」

「知っています。安達先生ですよね。いつもうちのまゆがお世話になっています。もしかして、まゆがさくらちゃんに何かしたんですか?」

「いえいえ、全くそんな事はなくて、仲良くしていただいています。それで、もしよければまゆちゃんにピアノを教えたいんです。明日から私どもが迎えに来て、うちで練習をさせたいのですが、許していただけないだろうか?」

「安達先生のレッスンを受けられるのは光栄ですが、レッスン料をお支払いするとなると、主人に相談しなきゃいけなくて・・・・・」

「いえ、お代はいただきません。私はさっき二人が一緒に演奏をしているのを目の当たりにして、まゆちゃんは誰にも本格的に教わっていないのにリズム感と音感があるし、二人は毎日ここで演奏していたって聞きました。私も年を取ったし、あとどれぐらい余生があるかわかりませんが、私は彼女たち二人に、私が超えられなかったものを超えてほしいと思っています。二人ならできると信じています。明日からでも始めたいと思っています。ぜひ二人をピアニストに育てたいです。どうかご協力お願いします」

さくらとまゆは叱られると思っていたので、これからも二人でピアノを弾き続けられるかもしれないということだけは理解した。すると、まゆは母親に向かって

「おかあさん!まゆもピアノが弾けるようになりたい!さくらちゃんみたいに弾けるようになりたい。おねがい!さくらちゃんと一緒にピアノが弾きたい!」

「まゆちゃんのママお願いします!!まゆちゃんと一緒にピアノが弾きたいです!」

二人は力一杯、まゆの母に懇願した。

「わかりました。家に帰って主人と相談してすぐにお返事いたします」

けれど、さくらとまゆは、まだ不安だった。今日はみんながいたから叱られなかっただけで、本当はレッスン場で叱られるのではないか。スパルタ特訓が始まるのではないか?と心配だった。

そして、その夜まゆちゃんのお母さんから「お願いします」との承諾の返事が来たのである。

第二章 秘密の時間の終焉  完

次回 第三章 破られた約束

(鏡の中の音楽室 第一部 さくら と まゆ)

(タイトルの画像は「木造の音楽室におかれているグランドピアノ」というお題でBing Image Creatorが作成した作品です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?