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鏡の中の音楽室 (16)

第二部 非常識塾長

第2章 古中松北小学校


古中松北小学校は、1947年に中松市の北部に位置する尾島山の登山道を少し上がったところに創設された歴史ある学校だった。正門から校舎までは、少し緩やかな勾配の坂道を100Mほど進む必要があった。坂道の右側には体育館が建っており、左側には運動場、その端にはプールが供えられていた。
校舎は南向きで、玄関は坂道を上がったところの中央にあった。玄関の手前には木造1階建ての建物があり、東側に職員室と保健室、西側に音楽室、理科室、家庭科室、図画工作室の4教室が並んでいた。その奥の山側には木造2階建ての建物が2つあり、正面の建物より広い幅で左右均等に4教室ずつ配置されていた。
この地形の特徴で運動場と校舎の高低差があった。その高低差を利用して、玄関の横から運動場に降りるために長い滑り台が設置されていた。その滑り台は学校の象徴となっていた。1955年には地方初のグランドピアノが音楽室に設置された。昭和の古中松北小学校はこの2つの装備により県内でも有名になっていた。
さらに尾島山は歴史上重要な古戦場であり、山上の北嶺からは穏やかな瀬戸内海を眺められ、山上の南西からは中松市の街並みを見下ろすことができる絶好の観光スポットであった。さらに1970年代半ばから、自家用車の普及と私鉄の路線がひかれたため、校区である古中松町は中松市のベッドタウンとして住民が徐々に増えていった。それに伴い児童数も増加していき、急遽、保健室の東側に2教室を増設し、各学年を3クラスに増やしても足りなかった。そのためにひとクラスの生徒数も増やしたのだが、校舎の老朽化も伴って、1977年、古中松北小学校は木造の旧校舎から鉄筋コンクリートの校舎に建て替えることが決まった。
建て替え工事は、1980年1月から始まり、校舎の東半分から行われることになった。二つの建物は一つにされ、4階建てになることが決まった。東半分を使っていた2、3、4年生が運動場に立てられたプレハブの臨時教室で授業を受けることになった。その際、学校の象徴であった長い滑り台が撤去されてしまった。在校生や多くの卒業生たちにとってもそれは大いに残念なことであった。

1980年になって、冬休みのうちに旧校舎の東半分はすでに取り壊されていた。当時小学3年生だった横平広春は3学期の始業式から運動場の仮設教室で毎日の授業を受けていた。広春は友達とはしゃげる場所が少なくなって少し学校が窮屈に感じていた。けれど、地面から生えてくる鉄筋の柱が何となく地面から伸びていく竹や草木の成長のように感じ、新校舎での生活に新しい春を待つ期待感のようなワクワクした感情がどんどん膨らんでいくのであった。
そして、新学年が始まり広春は4年生に進級した。

「なぁ、よこめ。今年の10月から俺ら新校舎に引っ越しできるんだってさ。よこめの楽しみにしている新校舎!実は俺も結構ワクワクしてるんだけどね」

3年の春に転校してきた蟹江武士が横平広春に向かって言う。二人は武士が転校してきて以来1年ほど親友関係を保っている。

「おい、ぶし!“よこめ”って呼ぶのはやめてくれよ!俺は横平、よ・こ・ひ・らって名前なんだからちゃんとよんでくれ!」

広春は怒ってはいなかったが、「よこめ」という呼び名がうざったいかのように反応した。

「だってさ、白杵先生が『今日から君はよこめ君です』って言ってたじゃないか!」

4年生になって、新校舎の工事の進捗が気になる広春は、授業中に窓から横目で新校舎をよく見ていた。それは担任の白杵先生からもしっかり見えていた。

「よこめ君。次読んでください」

国語の授業で音読を規則的に生徒にさせていた時、突然白杵先生が法則を飛び越え広春を当てた。

「先生!こいつの名前はよ・こ・ひ・らです。よ・こ・めではありません。」

教室の反対から武士の声がする。しかし白杵は淡々と話し続ける。

「いいんです。いつもいつも授業中、窓の外ばかり横目で見ているので今日から君はよこめ君です。窓の外に何があるのか知りませんが、横目で見ているのはバレバレです。顔は正面を向いていてもそんな目で外を見るのであれば、君は今日から「よこめ君」です。それでいいんです」

引き続き同じクラスになったクラスメートの何人かはみんな、このやり取りの最中に、喜怒哀楽の感情が激しい広春がキレるのではないかとヒヤヒヤしていた。しかし、広春は左手を後頭部に乗せて何回も頭を下げているのであった。それを見たクラスメートは広春が大人になったと感じた。
広春は熱しやすく冷めやすい面も持ち合わせており、相談を受けて舌の根も乾かないうちにほとんど忘れているのであった。しかし、困っている友達を見ると親身になって相談に乗ったり、解決策を考えたりしていた。そのうえ他言無用の秘密は守り、口は堅いとの評判が友達界隈には立っていた。実際は「適当な性格の完全主義者」と自ら二つ名を名乗るぐらいで、相手の相談も聞いた傍から忘れてしまうという適当さ加減を持ち合わせていた。しかし、広春は間違ったことが嫌いで、自分が正しいと思えば、相手が先生でも噛みつくきらいのある気性の持ち主であった。そんなときの記憶はかなり精度が高かった。のちに高校時代には横平の体の横には「こちらのどこからでもキレます」と印字されていると揶揄されることもあったぐらいだ。さらに感動するとすぐに涙を流すこともあり、母親や祖母は「お前の短気は父親譲りで困るけど、怒ると父親以上の迫力がある。しかも、怒る理由に間違いがないため手の施しようがない。さらに、そんなときの記憶はかなり正確で、相手がぐうの音も出ないぐらいにとっちめてしまう。それは正義感が強いのを通り越して、正義の押し売りだから困ったものだ」とあきれるほどだった。
これまでも広春がキレると手が付けられなくなることがよくあったため、武士以外のクラスメートからは表立って「よこめ」とは呼ばれることはなかったが、正面切って「よこめ君」と呼ぶのは武士だけであった。

「だってさぁ、今回のあだ名の件は俺が悪いんだから仕方ないよ。みんななんでも俺がすぐにキレると思っているけど、俺は自分が悪い時に逆ギレなんてせんのだ!はははははは」

広春のわけのわからない正義のヒーローのような啖呵を聞いて、武士はあきれてしまった。

「そういえばさぁ。早かったら2学期には東側の新校舎が使えるようになるそうだぜ!うちの隣に住んでいる竹田さんってのが工事関係者なんだけどね。スケジュールでは夏休み残り1週間で西半分を取り壊すんだって言ってたって、うちの父上が言っていたよ」

広春には、武士が学校の先生すら頑なにわからないという工事の日程について知っていることが信じられなかったが、工事関係者からの情報であれば間違いないと思ったし、武士が嘘をつくことはないと思っていたので、嘘をついているならその竹田さんという工事関係者だろうと考えた。

「そうか、なるほど9月から新校舎を使えるようになるのか・・・。本当にそうなるといいなぁ。けど、木造校舎が全部なくなるのは寂しいよな」

広春のこの言葉に転校してきて1年しかいなかった武士もうなづく。

「俺は中部地方の大都市の学校からここへ来たんだけど、なんかのんびりしてていい雰囲気だったんだよな。けれど、私鉄の沿線となったり、国道バイパスができたりして、どんどん開発されてきたよね。尾島山もずいぶん電線なんかができたり住宅地になったりして、この1年で風景がだいぶ変わったんだよな。1年しか住んでいない俺が1年前の写真を見ると、懐かしさを感じるんだから面白いよな。そう考えると寂しいよな。ところでよこめ、もう授業中に横目で校舎の工事を見るなよ、次はまた変なあだ名をつけられるぞ!」

武士の忠告に、広春は苦笑いしながらまた窓の外に目をやった。今度は横目ではなく堂々と変わりゆく小学校と尾島山の風景をしっかり目に焼き付けるように。そして、自分の思い出を大切にしようと心に誓うのであった。

第2章 古中松北小学校 完

第二部 非常識塾長 編


次回 鏡の中の音楽室 (17)
第3章 広春と武士とあの日 

(タイトルの画像は「塾長が描いた古中松北小学校の想像図」PromeAIが清書完成させたイラストです。)

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