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上海の観光スポット

上海は世界有数な大都会、他所の人に好奇心を持たせる記事・ニュース・事件が多くマスコミで流れに連れ、観光地になったでしょう,とは、上海人の僕は、あまり面白い街ではないと思っているの寂しさがあります。多分問題はこの街大きいすぎて、自分はよそ見しかできないが原因と思います。
上海は元々小さい漁村でした、上海は漁を終え海から引き上げの意味です、その対照に「下海廟」といお寺が今だに現役、「下海」とは海に出ること、「下海廟」は漁民たち、海を出る前に神様媽祖に供えるところです。
この小さい漁村は百年余りで大都会になりました、発足は清がアヘン戦争で西洋に負け、上海は殖民地なってからです、この殖民地には、どこの国の法律で運営しているではなく、「工部局」という上海にいるカリスマたちによって作られた権力機構で、秩序を維持している、運営目的は全て金を生み出すため、金になるならなんでもあり、各国夢が持つ負け組の人たちは、上海でオンバレート、たちまち上海「大馬路」、今は南京路という通りができ、両サイトにお洒落なヨーロッパ建物が立ち並び、その後、すぐさま南北平行にニ馬路、三馬路......七馬路まで展開しました、これは上海成り立った祭りです、アメリカも負け組の人たちが作り上げた国です。その時上海に出来たビルディングは今でもお洒落で上品に黙々と立ている。あの時パンツ一丁で上海に行けば、億万長者になれるという活気が溢れる街でした。
それは1949年に一変しました、上海は世界から離れ、億万長者になった負け組の人たちは、一人も残さず、一瞬雪崩のように世界に消え、上海はしずまりました。
その後三十年経ちましたの1978年、中国は再び世界に接近しようとの動きが出したが、世界が変わりました、上海も昔のように、思う存分自由が出来なくなって、活気は縛られた範囲の活気でした。上海は面白い街ではなくなりました。
上海は本来「黄浦江」というメインリバー西側の「浦西」地区しかありません、東側の「浦東」地区は農村地だけでした、政府は1949年前の殖民地だった「浦西」地区をやっつけ、今の政府パワーを見せかけため、1990年から「浦西」バンド地区の真正面向こう側、「浦東」陸家嘴にテレビ塔を含め、超高層ビル一気にたち並びました。が、「浦西」側バンド地区の建物は目もあげず、黙々と昔の時間に沈んでいきました。
上海の観光スポットはどこですかと聞かれたら、回答はできないでしょう、それは自分が上海に観光気が無いからです。それゆえ、何が求めたいを教えていただいたら、回答ができると思います。だから、なんでも聞いてください、答えします、なぜなら、暇でしようがないおっさんの上海人です。

写真は2022年11月3日に撮った上海の一角です。

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