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人参の種(春播き)

当農場では3月のはじめに人参の種播きをします。感覚としては春の畑仕事のはじめという感じで、ここらから徐々に農作業のエンジンをかけていきます。手にのせてフッと息を吹きかければ、飛んで行ってしまうような薄く平べったい種です。人参は夏(8月ごろ)に播くものは「黒田五寸」、春に播くものは「春播き五寸人参」というものを作っています。

わざわざ名前を書いたのには訳があります。最近の日本の農業では古くから作られてきた伝統固定種の種はほとんど使われなくなってきました。上記の人参は古くから選抜され、作られてきたものを自分の経験から作っているものです。作りやすさというより、「うまい!」というのがその大きな理由です。人参は栄養価など色々ありますが、まずは食べた時の香りと食感だと思っています。人参特有の香りを舌(味覚)で感じることが大事です。

現在の日本の農業では、流通や病気、害虫対策、播きやすさ(ベレット種子という種をコーティングした種子)などを加味して、F1種(一代交配)という種が主流に作付けされています。と、いうか一般に流通している野菜のほとんどはF1種だと言って過言はないと思います。そこには個性も何もなく、「同じ顔をした、同じ性質ののっぺらぼう」が店頭には並んでいるのです。日本の社会の縮図のような光景です。私は多様性のない世界は滅びると思っており、それは人間の世界も同様だと思っています。

F1種はメンデルの法則で親の一番優秀な部分が出るように選抜された種子です。例えば色が濃いとか皮が強いとか形が整うとかといった要素です。残念なのはF1種の多くは「味」というところは重視されてません。一番の重要点は流通などの利便性に合致した種子が作られているところです。F1種は親の優勢の部分を選抜したものなので、次の世代の種には劣勢の部分が出てしまう可能性があり、一般的には「採種」ができません。厳密に言うと繰り返し何度も採種(少なくとも3年)をすれば、やがて「固定」するので、完全に種が採れないということではないです。そこらへんは遺伝子組み換え技術とは違います。個人的には遺伝子組み換え技術は論外だと思っていますが…。

F1種の問題点は上述の通りですが、一番の問題点は種を買い続けないとダメだという点です。本来、種はその地域地域で百姓が自らの手で守ってきたものです。それが、ある時に「買うもの」になり、現在では種採りをするという概念と行為はほとんどの百姓にはなくりました。大げさに言えば種採りまでが農作業だと言えます。日本では大きなところでは2つの会社が種市場を独占しており、そういった企業は種を売ることで莫大な利益を享受しています。個人的には種はビジネスの対象にはしてはいけない、百姓の手にあるべき最低限の権利だと思っています。世界に目を転じてみれば、日本の企業以上に莫大な資金力をもった化学会社(種子、資材、農薬、化学肥料、遺伝子組み換え技術)が幅を利かせています。そういった企業群は影で国を動かすぐらいの資金力と影響力を持っており、大げさかもしれないですがビジネスというもので農業の世界を完全に支配しています。農業がいつしか「食べ物を作る」ところから「モノを作る」ような感じになったのもこのような点にあるかもしれません。

ちょっと話が大きくなりましたが、当農場では以上の理由からF1種はほとんど使っていません。種子消毒された種子もなるべく使いません。種採りは3割ぐらいしかできてませんが、在来固定種を販売している小さな種屋さんから種は買っています。自ら作ってみて、その野菜の特性を把握し、何より味のいいものを作り続けています。

余談ですが近年の気温上昇、特に夏場の猛暑により、昨年は8月に播いた人参は、水を撒いたりして何とか発芽まではつなげましたが、日差しと高温により数日で消滅しました。地球温暖化の影響は顕著に表れてきています。個人的にはもう手遅れかも思っています…。


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