帰郷 (前編)     落合伴美

 年末の慌ただしさが駅構内にもあるのか、改札を抜けてホームに向かう人々の歩き方がバタバタしている。気のせいかもしれないが。お洒落なコートやジャンバーがあちらこちらで動いている。お洒落とは思えない服装の人もいるにはいる。とにかく土曜の午後だから、電車に乗ってスムーズに座るためには、早めに並ばなくてはいけない。早めに並ぶとは列に加わっていては遅いということだ。 近鉄特急というスピーディーで洒落た電車に乗ることは選択肢になかった。のり弁野郎だからな。言っておくが自分を卑下しているわけではない。のり弁を食べることはあるが、のり弁を調理することの方が圧倒的に多い。俺はレジの前に立つことはほとんどないが、調理場からお客さんの顔がチラリと見えるのだ。見えるぞ、見たいぞと意識しないと、お客さんの顔は見えないのだが。俺は、ほっこり亭での弁当づくりの仕事が終わりかけると、自分がアパートに持ち帰るために弁当を詰める。ほとんどがのり弁だ。安くて旨い。いつしか俺は、のり弁を買いにくる人にシンパシーを抱くようになった。勝手に抱くシンパシー、片恋だ。
「のり弁、ひとつください」と店頭から哀愁を帯びた声が聞こえてくると、心強い同志の登場だと、心が躍り、ついついレジの向こうに立っているお客さんに笑みを投げかけてしまう。この小市民的な感情をのり弁購入者は知らない。知らないからこそロマンがある。女性に関してもそうだ。好きになった人のエゴな一面は見たくない。俺は恋のエゴイストだったから、(とりあえず過去形)好きな人には、俺がいちばん好きだと言ってほしかった。わがままだろうか?
 京都で観た木ノ下歌舞伎はよかった。「三人吉三」だ。彼女の芝居に鬼気迫るものを感じた。「三人吉三」の翌年に彼女は、新宿ゴールデン街のクラクラから消えた。いや、アルバイトを辞めたのだ。スレンダーで可愛いひとだった。名前は伏せる。彼女に会うことを生きがいとして、名古屋から夜行バスに乗って、頻繁に東京に行っていた。脚本家であり芝居の演出にも力を入れていた桃井章さん主催の芝居とか、劇団名はおもいだせないが、新宿眼科画廊で観た、青春コメディぽい芝居とか、彼女が出た芝居は欠かさず観に行っていた。
 会えなくなって何年だろう。距離は遠い。心の距離は遠くなった。
 月日は百代の過客にして。
 そんな言葉がどこかにあったな。ゴー。
 近鉄名古屋駅の三番ホームに五十鈴川行き急行が入線してきた。一年ぶりの帰郷になる。
 近鉄の急行に乗るときはベンチシートではなくて、二人掛けのシートがいい。名古屋からなら先頭車両か二番目の車両が二人掛けシートになっている。特急のシートみたいなフカフカ感はないが。昔は電車の中に灰皿が設置されていて、プカプカと煙草を吸っている人がいたらしい。実感をともなわない昔の話はさておいて、二人掛けシートに座ることができたので、気をふーと抜いて発車を待つ。
 発車の五分前。窓ガラスをコンコンと軽くノックする音がした。俺は身をのけぞらして、チンピラの仕業なのか、ひとこと注意するべきなのかと、恐怖心をふところに抱えて、窓の外を見てみると、そこにいたのは北大路雄山だった。雄山先生と俺は呼んでいた。雄山先生は、絵師であり、オブジェなどを製作する造形美術家であり、祈祷師であり、霊感占い師であり、姓名判断の本まで出している。風貌からも浮世離れしていることがわかる。長めの顎髭を蓄え、眼光は鋭く、鼻は硬質な彫刻みたいだ。
「…………」雄山先生は口を動かしているが、何も聞こえてこない。言葉を発していないのではないか? 口や唇の動きを観察してみてくれ。読唇術で読み取ってね。と目が語っているのだが、無茶な注文だ。が、しかし、口や唇を見つめているうちに、伝えたいと思っていることがなんとなく読めてきた。
「クニに帰るのか? 気を付けていってらっしゃい」たぶんそんなことを言っているのだ。言っていないが、言っているのだ。 
「ありがとうございます。気を付けていってきます」と口の動きだけで伝えた。雄山先生は頷いた。どうやら伝わったようだ。
 発車時刻になった。雄山先生は窓から離れて、手を二回か三回振って、踵を返し歩いていった。電車はゆっくりと駅から離れていく。車内の雰囲気、車内のアナウンス、一年前と何も変わっていない。運賃だけが寝上がった。ご時世だからなあ。感染症のパンデミックは鎮静化しつつあるが、安心はできない。
 近鉄の改札の内側にはファミリーマートがある。電車に乗る前に、女性週刊誌の表紙をチラリと見た。【渡辺徹が遺した愛の言葉】との見出しが印象に残った。関連性はないが、俺は、雄山先生にいろんなことを教わった。雄山先生と初めて会った場所は、ほっこり亭、俺の仕事場だ。
 8年半ほど前になる。雨がそぼふる夜だった。アルバイトの女子が早めに上がったので、俺がレジ打ちすることになった。シャッターを下ろす時間まで十五分。閉店間際に弁当を買いにやってきたのが雄山先生であった。
「きみは今、恋をしているのではないか」
 雄山先生は弁当を受けとるとき、俺の顔をじっと観察して、そう言った。度肝を抜かれた。
 出会いから四日後、雄山先生の家に行った。占いの客として訪れたのだ。先生の家は名鉄の金山駅下車、徒歩七分。金山は賑やかな街だ。繁華街の裏手に入ると、マンションが建ち並んでいて、優美な暮らしをエンジョイしているお金持ちの世界に迷い込んだ錯覚に陥った。錯覚に陥って及び腰になった。雄山先生はマンションとマンションの谷間にある古びた木造家屋に住んでいた。二階建てであるが、見上げてみると窓枠の錆が目立つ。大きな地震が来たら倒壊するだろう。
 居間に通された。エアコンはなく、小さな扇風機が二台稼働していた。暑い部屋だ。出された麦茶を飲んで雑談を交わし、和紙に【松井太一】我が名を書いた。
雄山先生は、文字を凝視し、渋い表情だ。不機嫌な顔にも見えたが不機嫌ではなく、真剣に考えているのだろう。
「松井くん、いや、まっちゃんと呼ぶ。まっちゃんの性格は不器用だ。女性を好きになったら猪突猛進。駆け引きなどできない。が、その不器用さが吉に転ずることもある。あるのだが……不器用さが吉になるのは奇跡が起こったら、の話だ」
 カチンときた。腹の虫が機嫌をそこねそうになったが、先生の見立ては当たっていた。こうなれば意地を張らずに、会津若松出身の彼女のことを話そうと思った。
 俺が東京に行ったのはテント芝居を観るためだった。十代の頃、mixiをやっていた。ミクシィはユニークな人と知り合えるコミュニティサイトだ。そのミクシィで田渕さんに出会った。田渕さんは「椿組」という劇団で活躍している男優だ。椿組は毎年夏場に新宿の花園神社で野外公演を行っていた。野外といっても巨大なテントの中に客席が組まれている。田渕さんとミクシィで知り合って四年後、東京に遊びに行った、椿組を観た。はじめて観た芝居は「20世紀少年少女唱歌集」。役者たちの熱演に圧倒された。
 あの芝居から十年も経過しているのか。俺はなぜ過去を振り返っているのか? 五十鈴川行きの急行が発車する五分前に雄山先生が窓をコンコンとノックしてきたからに違いない。急行電車は桑名駅に停車した。ペットボトルのお茶をひと口飲む。話を戻そう。
 椿組の座長、とばさんは硬派だ。田渕さんもかっこいいが、年季が入っている点では、外波山文明(とばさん)に及ばない。とばさんは新宿ゴールデン街で「クラクラ」を運営していた。気楽に飲める酒場だ。カラオケはない。たまたまとなりに座ったお客さんと語りあえる、愚痴も言える。素晴らしい酒場だ。
 俺はクラクラで会津若松出身の彼女と出会った。アルバイトしていたのだ。舞台女優をめざして、いろんな芝居のオーディションを受けに行っている、キュートな女性だ。俺は、ある出来事がきっかけで彼女に惚れた。好きになってしまったのだ。2013年の春のことだ。
 彼女と出会ってから一年後、雄山先生の家で、俺の恋模様を先生に話した。
「なるほど。まっちゃんは、会津の彼女に惚れた。惚れたきっかけになった出来事は、話しにくいなら、話さなくてもよい。で、彼女とは進展したのか?」
「進展ですか……。あまり進展はしていません。いつも午後七時、クラクラが開店すると同時に飛び込んで、いや、飛び込んでは言葉のアヤです。カウンターに座って、店にキープしてある芋焼酎を水割りで飲みながら、話をします。どんな芝居のオーディションを受けたのか訊いたり、俺が東京に来て、観た芝居の話をしたり。そんな感じです」
「ふーん。まあ、それでは進展は難しいな。どうしたものか?」
俺は、迷った。不思議な体験を話すのか、話さないのか。迷っていても迷路に光は差さない。
「彼女を好きになってから、不思議なことがありました」
 雄山先生の眉毛はアンテナが立つように伸びた。
 神秘的な出来事を語ることにした。東京の乃木坂に『コレドシアター』という小規模な劇場があり、劇場に併設されるかたちで『バー・コレド』があった。劇場とバーを運営しているのは、桃井章さん。桃井さんはかつて、中村雅俊と松田優作が主演で出ていたテレビドラマ『俺たちの勲章』などの脚本を手掛けていた脚本家だ。現在(この時点での現在。2013年の秋)は、乃木坂でバーの経営を本業にしながら、ときどきは芝居づくりにも携わっていた。会津若松から来た彼女は、上京したばかりの頃、桃井さんの店でバイトしていたのだ。彼女から聞いた話で分かったことだが。
 コレドでのバイト経験が御縁になって、彼女は、桃井章・演出&脚本の芝居に出ることになった。2013年11月のことである。俺は勿論、東京に行った。乃木坂コレドシアターで上演される『パラソル』という二人芝居を観るために。
 そうか。今、『パラソル』から遠い遠いところで生きている。先月、渡辺徹が亡くなった年なのだ。
 月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人也。
 急行電車は四日市駅に停車した。ペットボトルのお茶をひと口飲む。話を戻そう。
 2013年の11月。深まりゆく秋の夕暮れは近い。乃木坂駅に降り立った俺は、気持ちが昂っていた。上演開始の三時間前に乃木坂に着いて何をするんだ? そうだ、花束を用意しよう。生花店を見つけて、花束を頼んだ。六時過ぎに受け取りに来ることにする。時間はまだたっぷりある。そうだ、乃木神社に寄って行こう。コレドシアターも乃木神社も駅からすぐの場所にある。乃木神社の鳥居をくぐり、境内に入った。格式の高さを感じる神社だ。重々しさがあって立派。おごそかだ。荘厳(しょうごん)な神社。由緒正しき神社はここにある。正しい道にいざなってくれる神様の存在を信じたくなった。
 縦笛なのか横笛なのか、笛の音が涼やかに耳をくすぐった。打楽器らしき響きも笛を追いかけるように響いた。雅楽だ。
 紋付き羽織袴の男性と白無垢、色打掛け姿の女性がゆっくりと歩いてきた。喜びを胸に秘めて、神様を意識して歩いているためか、表情は硬いが暗さはない。神様と対峙しているのかもしれない。神前結婚式だ。おめでたい。清らかな光景、素敵だ。見とれていた。異変は起こった。
 境内全体が透明な輝きのベールに包まれたのだ。精霊が下りてきたように。
 精霊が下りてきて輝いている状態は十五分くらいはつづいた。そのあいだ俺は、境内のその場に立ち尽くしていたのだ。
 神秘性を帯びた体験をしてから八ヶ月後、2014年の夏に、雄山先生の自宅で体験を打ち明けた。
「先生、あのときなぜ、精霊が下りてきたのでしょう? 俺の話を信じてもらえますか」
 先生は目を閉じて、腕を組み、考え込んでいた。しばらく考えていた先生は、ぱっと目を開けた。優しさが眼球に表れていた。
「まっちゃん。きみは素晴らしい体験をしたのだ。そのとき、乃木神社では神前結婚式がおこなわれていた。神様は新郎新婦を祝福する気持ちであふれていた。だから、精霊が下りてきたのだ。だが、精霊は誰にでも見えるものではない。まっちゃんが純粋な気持ちであったから精霊に出会えた。それは間違いない」
 雄山先生は、きっぱりと言った。
「先生。俺は、会津から来た彼女と相思相愛になれますか?」
 先生はまた腕を組み考え込んだ。目は閉じていない。やがて腕組みを解いた。
「そうだな。相思相愛になる可能性はあるが、危険だ」
「危険、ですか?」
「うん。きみは純粋すぎる。恋は盲目というが、まさに、まさにだ。純粋なひとが強ければ申し分ないが。純粋なひとの恋は、一歩まちがえると、己の純粋さがナイフになって、自分を刺してしまう。会津の彼女を神聖化せずに、彼女の欠点を知ることが大事だ」
 欠点を知ることが大事? あのときの雄山先生の言葉は半分も理解できなかった。
 あの言葉を聞いてから、八年半のとしつきが流れた。郷里・伊勢に向かう近鉄急行は白子駅に停車した。ペットボトルのお茶をひと口飲む。

(後編につづく)
 



 
 
 
 


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