小林由依の卒業に寄せて

小林由依は欅坂の時代から明確に「非・平手友梨奈」の人だった。
(一応注記しておくが嫌いとか仲が悪いとかそういう低次元の話ではない)

ファンダムならずメンバー、運営まで平手友梨奈を信仰したファナティックな集団だった欅坂において、数少ない自我を保った人間だった。
さらに言えば、その中でそれでもなお欅坂にコミットし、パフォーマンスにおいて自己表現できていたメンバーは彼女をおいて他にいない。

今でも忘れられない『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』における一幕。

監督の「脱退した平手友梨奈に対しなにかコメントは?」という質問を各メンバーに投げかけていくシークエンスで、他のメンバーは感謝と労いの言葉を掛ける中、一人小林由依だけが
「私は他の人と思っていることが違うと思うので、ここでは言いたくない」
と言った。

真意はもちろん小林由依だけが知るが、公式のドキュメンタリーでこのような発言を行う意図は計り知れない。
確実に関係性の悪化を懸念される一言である。特にメンバー同士の関係性がプロダクト(あるいはリスク)の一つとして扱われるアイドルグループにおいて、ともすれば致命的ともなりかねない発言を、促されるわけでもなくまっすぐした目で彼女は語った。
(個人的な見解だが、もう少し平手友梨奈に同情的なファンが多かったら炎上していたと思う)
何より、この映画は平手友梨奈も見ることになる。(ちなみに平手友梨奈は「この映画は真実ではないです。私は公開に反対しました」とインタビューで発言している)
その時点では辞めていたとはいえ、公式のドキュメンタリーでこのような発言をされた際の平手友梨奈の感情は容易に推し量れるはずで、それでも、例え何を犠牲にしても、自分に嘘をつく事だけはできなかったのだろう。

この発言自体の功罪を問うつもりはない。この発言をできることが彼女の根幹だと考えているから紹介した。
周りがどうなろうと自分を貫く。正しいと思うことだけをする。流されて求められていることを惰性でやらない。

そして、それこそが今の櫻坂の根幹でもあるのだろう。
欅坂時代から曲の表現とパフォーマンスを第一義としつつ、観念的な自家中毒や綺麗事にも侵されず、鍛錬と覚悟を持ってハイレベルな表現を提供する。
平手友梨奈がいなくなったあと、進むべき道を失った初期の櫻坂において、決して語らず、だがその行動のみにおいて全てを伝えるその背中は、今グループの中心となっている二期生の指針となっていた。

ブログにある「ここで経験できることはやり尽くしたのかもしれません」という言葉からは、想像ではあるが、彼女なりに描いたキャリアプランが見える。
実際に日本のアイドルをしていてはできないことを彼女は見据えているのは想像に難くないし、きっとそれは正しいことなのだと思う。

彼女の行く末を心から祝福したい。

※"隙間風よ"はMVとしては美しいけど楽曲がしょぼすぎるのでできれば新しい卒業楽曲を提供してほしい…もちろんMVは池田一真さんで

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