スポーツマン信仰

こんばんは。
本日は、鉄道好きのゲイ友と遊んできました。
趣味ってマジ大事で、人を繋げますよね。

いきなりですが、
皆さんはありのままの自分を受け入れているでしょうか。私は非常に怪しいです。というのも、異常なほどに体育会系信仰だからです。

私は、むっっかしからスポーツが大嫌いで、
幼稚園や小学校の頃は、ありとあらゆるスポーツを避けていました。
体育祭とか球技大会なんて大っ嫌いだったし、もうボケまくって周りを笑わせていたくらいです。

しかし浪人の頃、大学に入ってアメフト部に入る!!自分を変えてやる(今考えると超無謀)と意気込み、受験勉強を必死に頑張っていました。
というのも、ガチ恋をした人が大体スポーツマンで、
ゲイであることを受け入れていなかった自分は、この気持ちは憧れだ、俺もスポーツマンになるんだ!!と考えていたからです。

そして無事大学に合格し、アメフト部に入部するものの、何から何まで合わず、1週間で辞めます。ただ、スポーツに対する熱は諦めきれませんでした。なにかスポーツをしたい!!スポーツマンになる!!の気持ちは消えず、色んなサークルや部活に顔を出しました。

結局、テニサーのレクリエーションで行ったキャッチボールをきっかけに、
「あれ野球できんじゃね?」
と感じ、草野球を始めました。

始めたころは、顔にボールが当たることもよくあり、散々でした。
不安の症状もそのころから強くなり始めました。今まで何十年間も刺激を避けてきたことにも気づきました。スポーツをして追い込んでいる自分、ジムに行って追い込んでいる自分が大好きになり、中毒のように野球や筋トレをしているときがありました。もちろん楽しいと感じた面もありますし、多くの人と繋がることができました。

しかし不思議です、自分がいくら野球を頑張っても自信はつかないし、恐怖は増え続けるばかり。恐怖が野球のベースにあるため、バッセンやキャッチボールの誘いも怖い。会社や友人から体育会系の人と思われるのが苦痛になりました。

野球をしている自分も、いろんな面の1つなので受け入れてあげたいです。キャッチボールはなんやかんや楽しいし、みんなでワイワイしながらする野球は最高です。ウェアに着替えると、とても気分が高揚し、マッチョな自分が現れるのです。スポーツブランドの服やウェアを着ると、自分がなりたいマッチョな姿により近づけた気がします。一時的に満たされた自分になり、練習に取り組み、家路につくのです。

しかしマッチョな自分や行動は、本来持っている感性や気持ちとは大きく外れた感じがするのです。なぜか、バリバリ体育会経験の人とリアルしたときや、電車で部活着やウェア姿の人を見ると、気持ちの落ち込みが激しくなるときがあります。恐怖や挫折を超えた先に、本当に野球人やスポーツマンとしての姿があるのでしょうか。結局、いくら野球を頑張ってもメンタリティは簡単に変わらないのです。

さらに筋トレや野球などマッチョなことを自分からのぞいてしまうと、自分の存在価値がない!!くらいにまで考えてしまいます。これは極端すぎな考えです。自分はスポーツマンではない、身体を動かす気持ちよさはあっても、怖いものは怖い。ただ、一生懸命4年ほど野球に取り組んでいることは事実。マッチョなことをしていない・除いた自分も受け入れてあげたい。ジレンマや恐怖を抱えながら、そう思うのです。


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