1型糖尿病と16年目の私

糖尿病には1型と2型があること。
最近少しずつ広まってきているが、まだまだ糖尿病=生活習慣病(2型)と思われている。つまり、多くの人に怠け者がなる病気だとか、自分で努力すれば治る病気だと思われている。(2型でもその考え方は間違っていると私は思っている)

私は新入社員1年目の夏にこの“1型糖尿病“だということがわかった。

ただ、“お先真っ暗”と思った。

ストレスやウイルスにより膵臓の機能がゼロ(厳密には表現しません)になる1型糖尿病。
子どもなども多い。
治癒する可能性もほぼゼロで、(今は)食事回数+1日1回のインスリン注射を一生続けることで膵臓の働きを体に疑似体験させて生きていくことに、なった。

2007年24歳の夏に具合が悪くなり、実家の仙台に戻っていた。
地元の先生のところに行ってこの病気だと判明した。父も母もとても悩ませたと思う。
父は私と一緒にメソメソしてくれて、母は私よりも明るく強く寄り添ってくれた。
当時お付き合いしていた彼も、その年にしては騒がず別れるなどとも言わず(別の理由でその何年か後に別れたけど)、冷静に受け入れてくれたんだなと今思うと感じる。両親にもその彼にも感謝している。

仙台の先生は私の仕事のことだけではなく、性格のことも考えてくれて、
地元の小さな病院ではなく、東京女子医大を紹介してくださった。
1型分野の著名な尊敬できる先生にしっかり教えてもらい病気と共に生きていく準備をしてもらうことが未来の私に必要なことだと判断してくださった。
これから「女性として恋愛して結婚する!」と一般的なキラキラした人生に夢を描いていた24歳の私には、本当に大切な判断をいただいた。ありがとうございます。

おかげさまで一度も1型を理由に死にたいなんて思わずにいられました。

東京女子医大での最初の入院では、2型のお婆さんと同室になり、毎日コソコソ看護師さんに「私はお隣の方みたいに若い時にこの病気にならなくて良かったわ」「あんなに若いのに糖尿病だなんて悲惨!」などと陰口を叩かれたりした。カーテン一枚で仕切られている二人部屋では、もちろん丸聞こえだった。

自分のために、すぐ1人部屋にしてもらった。

その時は病気を初めて診断された直後で、まだ他人の言葉を受け流せるほどのメンタルではなかった。

ただ、私は、他人の(特に自分より若い人であればあるほどその相手の)心のことまで考えられるお年寄りになる努力をする、とその時誓った。

もちろん今はこの病気と共存して暮らしている。

周りの人全員にこの病気のことを理解してもらおうなんてもう思っていない。
知らない人は知らなくていいし、理解しようとしない人はそのままでいい。
全員にしてもらうなんてことは難しいとわかっているし、もう体験している。
家族や親しい人に同じ痛みがないと私の痛みを本当の意味では理解してもらえないこともわかっている。

これも私の居場所の一つなんだと今は思えている。

月に一回の定期検診の日。
今日も主治医の先生に自分の現状をそのまま話をしてこよう。

そして、1型と診断されて今“お先真っ暗”と感じている方、大丈夫。
人生は楽しいよ。

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