約6年前の思い出①

ドイツに来てもう少しで6年が経つ。
なんか、クリスマス休暇で変にちょっと時間ができたので、ドイツに来た当時の思い出を書き起こしてみることにした。





2018年の3月後半。学校の最終日の次の日にドイツに向かうことになっていた。

確か朝の9時半発の飛行機とかだったと思う。何回も言うようだが卒業式の次の日です。もちろん謝恩会は出ます。
当時なんとなく悟っていたし、周りも多分気を遣ってくれてダイレクトな表現を避けてくれていたと思うけど「救いようのないアホ」であることは間違いない。
9時半の便ということはつまり遅くとも8時半くらいまでには成田に着きたい。そのためには朝6時半に立川を出る成田エキスプレスに乗らなければならない。立川から成田空港までの所要時間は2時間である。

ボケナスだった私はその日学校に朝5時まで残っていた。


もちろん旅支度など微塵もしていなかった。


前日は恒例の卒業生を送り出す謝恩会が催され、宴の後も多くの高等部在校生が学校に泊まって喋ったり、歌ったり、笑ったり、今まで過ごした時間に思いを巡らせ別れを惜しんだ。
賢治での12年卒業とは不思議なもので、なんかみんなイタい。みんながみんなド痛。他を知らないからなんとも言えないが、おそらく他の高校よりド痛濃度が高いと思う。
つまりはド痛のカルピス原液状態であり、みんなキムタク、みんな沢尻エリカの世界線。薄めても薄めてもキムタク。切っても切っても沢尻エリカの金太郎飴状態。
記憶を辿るとホントに男子はみんなキムタクみたいな立ち振る舞いしてるし、女子はみんなあの頃の沢尻エリカみたいに尖っている。あれは、キムタクがキムタクをしているから成立する訳で、何のスター性も無いイモみたいなうちらがやってもド痛に昇華してしまうだけだ。
なんか、ド痛と書くとネガティブだが、私はそれこそが素晴らしいとも思う。みんな全てを知っているようであんまり知らない。みんなすごい純粋で今振り返ればまだ何色にも染まっていない。多少の「出来る」を武器に何でもできると思っている。だからこそ楽しかった。
詰まる所キムタクは人生楽しいと思う。賢治の高等部は東京賢治キムタク高等学校に改名すべきだ。
いや、ここは男女平等の観点から東京エリカ・キムタク高等学校がいいな。待てよ、それじゃあパンチが足りないな。東京エリカ・キムタクちょ待てよ高等学校がいい。いやいや、もっとエリカ要素を足して東京エリカ・キムタクMDMAちょ待てよ高等学校かな。

話が逸れてしまった。


謝恩会の後、私は私と同様に眠れなかった下の学年の3人と5時間くらい人狼をした。それはそれは楽しかった。理由は完全に忘れたが後半の2時間くらいは4人でずっと「ペッペッペー」って言ってた。完全にトランス状態だ。「ペッペッペー」「あはははは」「ペッペッペー」「あはは」。アホの境地。「ペッペッペー」こんな時間がずっと続けばいいのに〜! 言うてる場合か。
そう思ったのも束の間、時間はすでに5時前になっていて、私はトランス状態から覚め、帰宅することにした。
仲の良かった友達を起こして別れの挨拶をしようと思ったが留まった。
私の心の中にいるリアリズムとは名ばかりの冷笑主義的な面が自分自身にツッコミを入れる。

「自分、どうせ一年後くらいにノコノコ帰ってくるやん!大袈裟やん!草生えてまうわ!生えてもうてるさかいに!笑 やめさせてもらうわ!」

結局その友達たちには置き手紙を残すことにした。これも風情があるな、というキザな考えを当時は持っていた。キムタクだからね。
10年間を過ごした学校ともお別れである。校門には起きていた数人が見送ってくれた。
この学校に転入してきたタイミングも同じだった同級生のOが「成田まで見送るよ!」と提案してきたが「どうせ1年くらいしてノコノコ帰ってくるので…」と丁重にお断りした。
学校の荷物を両脇に抱え自転車に乗り、フラフラと家路につく。空にはいくつかの雲がだんだん明るくなってきた空にうっすらと赤く浮かんでいた。ひんやりとした空気がハンドルを握る両手にまとわりつく。
下水処理場から漂うほのかなうんこの香り、服が自転車のタイヤに絡まって衝撃映像みたいに前転した根川緑道の道、この道で5000円を拾ってテンション上がったのも束の間、速攻で失くした事もあったっけ。
これら全てともお別れである。じゃあの。

帰宅すると案の定母はブチギレていた。
まぁ、当然。30分で一年海外で生活するために必要なあれこれを詰め込まなきゃならない訳だから。
私はせっせかせっせか荷支度をした。母もせっせかせっせか荷支度を手伝ってくれた。10年間毎日片道2時間の通勤をし、時には厳しく、時には優しく、女手一つでここまで育ててくれた。そんな母は今、けっこうブチギレながらパスポートの在り処を探してくれている。
母は偉大である。ありがとうございます。

母と二人三脚で急いで荷支度を済ませ急いで立川駅に向かった。

間に合え!間に合えーー!!そう願って自転車を飛ばした。


がっつり立川駅のホームで10分待った。


え、この状況で10分も巻くことあんの?


え、あれ、これ改札を通る時、電光掲示板を見上げて「やべっ!成田エキスプレスあと1分で出発だって!急がなきゃ!えいっ!」ってスイカをぺッってしてエスカレーターを全速力で駆け降りて「待ってください乗りまぁーーす!!」って叫んで閉まる扉をギリギリで通り抜け「あぶねーー、、肝冷やしたーーー。。はぁ、はぁ、、、」のやつじゃなくて?

なんか、ブチギレてる親を隣に「ふんふふーん…」って意味もなく最新のタッチパネル式自販機を見る時間あるんですけど。なにこれ。

10分が経ち心拍数も落ち着き、汗もだいぶ引いて、メガネのレンズを拭き完全体となった私と、歳のせいかなんなのか分からないが、汗が引かず、イライラは落ち着き、体型的にはなんかポテっとした感じの「ガンジス川で沐浴を終えた男爵芋」みたいな見た目の母は成田エキスプレスに乗り込んだ。

成田エキスプレスの車内はとても、それはとても静かだった。

私は一言「ちょ、待てよ」と言うのだった。

つづく

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