見出し画像

⑥母は毒親

※私と母の関係を書いています。
読んで不快になる可能性あり。ご了承ください。


環境はただの引き金

私が鬱病になったのはですね、単純に祖母のせいじゃないんです。
そもそもの母との問題が根底にあって、祖母との同居生活が引き金になっただけ。

そもそも、祖母にちょっと邪魔者扱いされたところで、発狂しそうなくらい心のバランスが崩れるなんておかしいんです。
母にそうされてきたから悲しいし、怖いし、焦る。

でも、この時の私はまだ気が付いていませんでした。

本格的に被害にあうのはこれからです。
携帯電話を持ってから。

自己愛性パーソナリティ障害

私の母はいわゆる「毒親」ってやつです。

母はおそらく自己愛性パーソナリティ障害でしょう。
当てはまりすぎます。
そして、こんな人が子育てしたらどうなるか?
ちょっと想像していただけるでしょうか。

自己愛性パーソナリティ障害とは?
▽特徴的な症状
・自分の才能や成果を実際よりも誇張する
・成功、権力、美しさ、理想的な愛を手に入れているという空想にとらわれている
・ 自分は特別な存在であり、他の特別、または地位の高い人たちだけが自分を理解しかかわることができると信じている
・過剰な賛美を求める
・特権意識をもち、そう対応されることが当然だと期待している
・自身の利益のために他者を利用することはいとわない
・共感力が欠如していて、他者の気持ちなどがわからない、または気づこうとしない。
・他者に対して嫉妬心を抱いたり、反対に他者から嫉妬されていると思い込む
・尊大かつ傲慢な言動が見られる

りたりこ発達ナビ


過干渉で子供をコントロールしたい割に、自己愛の強さゆえ、自分で子供に向き合うことができない。
「こんなに子供に困らされている」と先生に丸投げする。
子供は母が親として苦労して頑張っているアピールのための道具。

かと思えば、自慢できるようなところに関してはきっちり自分の手柄。

自分を正当化するため、言うことがコロコロ変わる。そして自分のなかですっかり書き換えてしまい、いつの間にかこちらが悪者になる。

子を叱るときは、子の心が折れるまであることないこと何でも言う。
”母を困らせる悪い存在”にするために手段は選ばない。
「どうせお前のことだからこう思ってこうしたんだろう」と決めつけられ、「違う」と言っても聞いてもらえない。
自分を信じてもらえない悲しさに涙がこぼれると、「ほらまた悲劇のヒロインぶって!泣けばいいと思ってる!」と怒られる。
(これは人生をかけて悩んできました。私は本当に悲劇のヒロインぶってるんだろうか?と。今は「いや、あんただろ!」と激しくつっこみたい(笑))

さて、子が大きくなっても、母は子供相手にマウント取ることが日常です。
兄弟を使い分け、都合のいいように味方にしたりマウントとる材料にしたり。
家族の話はすぐ自分の話に持っていく。

でも慣れるんですよ。恐ろしいことに。
「あーまた言ってるわ」って笑ってスルー。
嫌だなーって思う自分の心もスルー。

そりゃあ心を鈍化させないとやっていけないね。
そうしないとやっていけない家。
家族みんな、それが当たり前の家。

そんな環境で、身体が固まらないわけないですよね。
よくやってきたと思います、私。

東洋医学的にはストレスは五臓六腑の肝が疲れるらしいです。
この肝の疲れが、のちのちのとある大病に繋がった可能性もあるかなと思っています。

母からの長文メール

大学で携帯電話を持つようになると、ようやく違和感が出始めます。

何か咎められたり、母ともめたりすると、自分の部屋に戻ったあとに長ーいメールが届くのです。
同じ屋根の下に居るのに、です。

そこには、普段言わずに黙ってたけど良く思ってない事などがズラッと並んでいるのでした。。
(夫婦喧嘩になると過去のアレコレ持ち出す妻、みたいなやつ)

「あの時、何ともない顔してたけど内心こんな風に思ってたんだ。。」

いやーこれめっちゃショックなんです(笑)
文にされると脳内に残りやすいし。私の心はもうズタボロ。

ま、こういうことも「面と向かってだとあんたが聞かないから」とかどうせ言う人です。
やはり、子供と向き合って話し合うという事がとことんできない母でした。

「毒親」という言葉に出会う

大学の頃、「毒親」という言葉が世間に浸透しはじめました。
でも、まさか自分の母が当てはまるとは夢にも思っていなかったのです。
毒親という言葉とその意味も知っていて、母親の事で悩む友人に「そういうの毒親って言うらしいよ、本読んでみたら?」とアドバイスしたくらい他人事でした。

手作りの刺繍がふんだんにあしらわれた幼稚園グッズ、姉妹おそろいの可愛い洋服、手の込んだご飯、たくさんの絵本、毎晩の読み聞かせ、習い事や私立中高一貫への受験、塾。大学も学費が高いところだし、たくさんお金をかけてもらって育ててもらってたから。

母には母の理想があって、それを実現するために色々考え手を尽くしてきたのでしょう。
これらの感謝も強要されてきました。
でも強要されずとも、母なりの愛だということは十分理解していました。
欲しいと思っていなくても、母が欲しがってほしそうなら欲しいと答える。
たとえ欲しいと思っても、母がよく思わないものは欲しいと言わない。

幼稚園の時には私はすでにそんな子供でした。
そして、そういうことが自然と感じられる子供だったからこそ、身体的虐待もネグレクトもないし、いくら心を傷つけられても毒親だなんて疑いもしなかったのでした。

妹や弟は好き放題して許されても、私は母の意を汲む。
羨ましかったけど、それが私の母の愛への応え方であり、存在意義でした。

妹と弟も色々あるので、それぞれ何かしら抱えていたのかもしれない。


それでも私が母の異常さに気づくのはまだまだ先。この10年後、結婚することになってからですね。
さすがにヤバすぎて気づきました(笑)

またその時に詳しく書きます!


さて、私が鬱病になった事で、母は関西を拠点にして暮らすことに。

あの時は本当に辛かった。
自分の存在が原因だから、自分を感じるだけで苦しくて狂いそうになってました。
もっとうまくやれたかもしれないのに。自分はダメなやつだ。
そのまま受け入れるなんてとても出来なかった。
睡眠薬がないと絶対眠れなくて、毎晩気絶するように寝る日々。


やがて4月になり、母と弟、一緒に過ごす家族が増え、祖母と生活が分かれたことにより表面上の原因が解決?しました。
そしてそもそもの大学生活が人生で1番勉学が楽しく、自然の中に出て、部活で楽器を弾いたりと五感をフルに使う日々だったためか、
私の症状は案外早く数ヶ月をかけて改善していったのでした。

本当の問題は残したまま。。



身体の不調と言いながら、心の話が長く続いてしまい申し訳ありません。
でも、このあたりの闇が、私のこれからの人生にも関わっているはずなんですよね。

次は、私の不調の引き金になったであろう、ヤブ医者に勝手に歯を削られてしまう話です(笑)


⑦につづく

========

大阪市住吉区で、骨格から身体を整えるボディメイクのセラピストをしているYUKAです。


幼少期からの自分の身体への違和感や不調の歴史をnoteに綴っています。

この不調の歴史なくして、ただの会社員からボディメイクセラピストに転身する道は考えられません!


人一倍健康に憧れ続けた私だからこそ、骨格から身体を立て直す事の大切さを今実感しています。


普段はInstagramにて更新しています。

https://www.instagram.com/yuka_body_make?igsh=YjJ4MXIxanRrY3M0

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?