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【デュエマ】【妄想】コレクターの戯れ言

ハイクコレクターです。

ごきげんよう。

フミビロムが我々のハイクを楽しみ、ハイクに「ハイパー」の力を与え、さらなる情動がハイクに加わったともっぱら話題ですな。アイネやドラッヘによるハイクは、まさしく新境地であると言われていますな。言葉すら必要ないとは。


しかしどうも、私にはフミビロムのやったことが恐ろしく思えるのです。彼は我々マジックのハイクを、全く別物へと変えてしまったのではないかと。コレクターである私からして、非常に怖いんです。みながアイネのハイクを、ハイパーモードを、高く評価しているのも、とても怖いのです。

まだ、あなたが、私の言をばかばかしいと思わないなら、聞いて下さい。マジソンのコレクターとして、わたしは危機を感じています。

まず、フミビロムは、我々マジックのハイクの良さを知った。ハイクは、楽でもありますが「学」でもあるのです。従って、終わりがない。制覇することはない。

常に進化し続けるのです。だからこそ、フミビロムはこの文化を楽しんだのでしょう。よいことです。無論。だから彼は、自らのハイパー化の力を我々マジックに教えてくれた。こういう他者との交流で、またマジソンが生み出され、洗練されるのです。

わたしも、このときは感嘆の中にいました。素晴らしいことだと思いました。しかし実はここから、皮肉にもマジソンが壊れてしまったのです。


マジソンではありません


ご存知のように、ハイクに感情が乗ったのです。もちろん、マジソンが情動的である例はありましたし、

感情が乗ること自体が悪いわけではないのですが、あまりにも自分の感情にまかせすぎていると思うのです。マジソンとしては、あまりにもナンセンスです。アイネのハイクも同様です。


言葉が必要なく、キズナでつながる、伝わるのだ、という風に見えますが、そこに他者がいないのです。むしろ他者を退場させるような効果です。今の彼女は、他者が介在しなくとも力を発揮できる、素晴らしいハイクができる、伝わるのだと思い込んでいます

言葉なく たったひとりで ハイパー化

最愛の者との引き合う形を情動的に詠んだ名マジソン、「なぜ離れ」歌の趣とは大違いです。わたしはこの点に危機を感じます。なんというか、マジソンをマジソンとして成立させるための、自分の外からの目線を欠いているように思うのです。ハイパーモードという力や感情にのまれ、自分の中にある感情を適切に伝える「言葉」は必要ないなどと。たとえ、言葉のいらない境地まで究めたのだとしても、「言葉すら」とか「✖✖✖✖✖」なんて言い方はおかしいんです。狂気的ともいえます。いままで底知れない進化を続けてきた、ハイクのあり方の否定なんです。フミビロムと交わしたような、他者との交流こそがハイクです。自分の感情をありのまま爆発させ、他者に伝えるのを怠るのは、マジソンのありざまではありません。アイネは変わって、いや、変えられてしまったのです。
ドラッヘも、彼もおかしいのです。

超化して どこへ行くのか 名歌人

刹那の時間や感情を、言葉という形式によって象るマジソンの名手が、全く同じマジソンを二回詠むなんて、ありえないんです。「なぜ離れ」をはじめとしたいままでの彼のマジソンは、ある一場面を幻想的に切り取り、ずっと心に残る物でした。それがなぜ、何度も繰り返すスタイルになってしまっているのか。
アイネは他者と言葉を否定し、ドラッヘは自らのスタイルを見失って感情をぶちまけています。それが「ハイクラス」だなんてこと、あるでしょうか。

フミビロムのもたらした情動は、マジソンの、ハイクの、根底を壊してしまいました。歓待されていますが、わたしは、たとえ悪意がないとしても、フミビロムが恐ろしいのです。

重ねても どちらか一つ 忘れられ

文化を正当に進化させたように見せて、実は元の文化を踏みつけて、壊している。二つのものを、どちらか一つにしてしまう。多様性の肯定のようでいて、大いなる冒涜です。言葉が必要ないはずがないんです。境地ではないんです。他の文化を忘れ、いつのまにか消し去るなんて、まるで、かつて闇文明以外を否定し、破壊したという、
悪魔神、バ、✖✖✖


上記は、スベテ妄想です。絶対にスベテが、一文字残らズ、妄想です。妄想です。妄想です。
ハイクは、進化を超えた超化をしました。

言葉など、もう必要ないのですから。


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