小説の美

テレビに代表される映像や動画といったもの。美しい風景を4kあるいは8kで、などと迫ってくるが、まあ確かに綺麗ではある。決して嫌いではない。
一方で、やはり小説などの文字表現で風景描写がなされると、それはそれで美しく感じる。ただ、画像として示された風景と、自分でイメージした風景とは、何か根本的に違う気がする。
今の自分の理解では、映像つまりは現実の風景は、現実離れした美しさに圧倒される。イメージの風景は、実はこれまでに経験し美しさ、例えば子どもの頃に見た風景を元に、そこに文章表現を付け加えて空想の風景を作りあげている。ある意味、現実を元に作られているので、現実味があるのはこちらの方かもしれない。
絵画などで、写実性を大事にした作品でも強烈な魅力を放つものがあるのはそういうことだろうか。カメラ、写真はどうか。これは一瞬を切り取っている。それは人間が目で見ても記憶に残らないほどの一瞬だ。それが現実離れした美に近付く。
いずれにしても、そういう空想性や刹那の断片を表現できるというのは常人には理解できるものではなく、その技術や運を持っているものだけが、芸術家として生きていける。
さらに小説で凄いのは、文脈から風景の美しさ、魅力が繋がっていくことだ。多くは登場人物の心理的な浮き沈みに関係するだろうが、それでもそこから印象的な風景描写につなげるというのは、天から与えられた力でしかないと感じる。
志賀直哉が「小説の神様」と評されるが、実際そう言われても納得の作品、表現が多くある。『城の崎にて』は大人になっても何度か読み返しているが、本当に何気ない風景描写にグイグイと引き込まれる。
飾られていることもない簡潔な表現だが、魅力的である。そして、おそらくこの描写を映像にすると、全くつまらないものになってしまうだろう。文字を追い、それを自身のものとして頭で描く。小説だけに許された美的感覚である。

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