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NYCにLet’s Go!!(5日目:2月4日)

❁5日目の旅のコンテンツ

①国立自然史博物館
②ライオンキングのミュージカル(20時~22時半)
③友達と夜中の1時まで話し込む

国立自然史博物館にて

 英語で書かれていたから分からないことが多かったのだろう。理解できないことばかりだと、安易に言葉にできない。ただ、自然の歴史ってすごく長い。だって、自然の歴史だけでここまで大きな博物館ができてしまうのだから。動物、植物、宇宙…すべて自然なのか。自然という言葉を様々な言葉で区分していったんだろうか。リアルな模型が多く並んでいた。動物は今にも動き出しそう。植物の葉や茎、根をあれほどまでに時間をかけて見つめたことがあっただろうか。年輪をなぞったことがあっただろうか。私は、自然とともに生きていることを忘れていた気がする。
 英語を勉強してもう一回訪れたい。言葉が理解できないと「分かる」ことができない。分からないと、面白い、悲しい、難しいというような感情も湧かない。

ライオンキングのミュージカル

 ライオンキングのミュージカルは終始釘付けだった。人間があれほどまでに動物を演じることができるのだと感動した。目線や首、足、どんな繊細な動きであってもこだわって演じていることが分かった。一人ひとりがその瞬間に全力だからこそ、観客は引き込まれるのだろう。年齢に伴って体力的な限界はあると思うが、そんなことを一切感じさせない動きの切れとスピード感だった。勝手に限界を決めているのは私なのかもしれない。かっこいい。美しい。

ブルックリンブリッジの上で出会った友人との再会

 急遽、一昨日ブルックリンブリッジで出会ったドイツの友人と会うことにした。ただ、会いたかった。会うべくして出会えた友人のように感じた。おそらく、人が出会ってもその出会いがつながっていくことはそう簡単ではない。自分がつなげようと思って初めてつながり続ける可能性を秘めていると信じているので、「会いたい」と思ったら、私は即行動に移す。「会いたいね」の言葉だけではつながっていかない。

 彼女と夜中話し続けた。知っている英単語を駆使して一生懸命伝えた。彼女も一生懸命受け取ろうとしてくれる。その心遣いが嬉しかった。仕事について、将来について、生活について、趣味について、好きなことについて…たくさん話した。
 23歳になって、故郷を出て、大学院で学んで…守られてきた環境から少しずつ外に出て、社会と自身は隣り合わせなんだと実感し始めてくると、他者も含めた社会と自分との関係、自分自身について否が応でも考えざるを得なくなる。でも、そんな先の見えないトンネルの中であっち行ったりこっち行ったりしている自身の思考を同い年の友人に聴いてもらえることは自分にとって前を向く支えになる場合がある。次々と言葉が交わされていく、初めましてではないような感覚。こうやって、話したいと思った人と好きな時間に好きなように話せるのも一人旅の魅力だろうと思う。

日本語であっても英語であっても

 彼女の仕事についての決断を聴いたとき、「お疲れ様、頑張ったね、でも、あるがままのあなたでいい、肩の力を抜いていい」と伝えたくなった。でも、その表現は英語では分からなかった。恥ずかしいという気持ちを抑え、自分が知っている英単語とノンバーバルコミュニケーションを駆使して必死に伝えた。日本語で言いたいことを頭で整理して、変換可能な英語を探す。すごく時間がかかった。結局、同じ英単語を何度も繰り返す羽目になった。ふと彼女を見ると、目に涙を溜めてこちらを見ていた。ほっとした。
 もしかしたら私の思いは伝わっていないのかもしれない、全然違うことが伝わっているかもしれない、でも、伝えようとした時間がたまらなく愛おしかった。紛れもなく二人の距離感を縮める時間となったと思う。気付くと、次の日の朝2時になっていた。もっと話したい気持ちは次に持ち越しとしようといつかの再会を願って別れた。ドイツに一人仲間ができた。



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