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母から教えてもらった愛を次の誰かに渡したい

 黒い雲の隙間から細い光が差し込んでいた。雨予報だったので、少しだけ気持ちが上向きになる。

 京都府立植物園にあるバラ園には、小雨にも関わらず、多くの人が来場していた。その理由の一つには『母の日』がある。私も来てみて分かったことだが、母の日である今日はなんと入場料が無料らしい。それもあってか、恋人同士のお客様と同じくらい、娘と母、息子と母という組み合わせのお客様が多かった。バラを見つめて「綺麗だね」と笑い合う姿が見られた。

 ある母親が娘に「バラと一緒に写真を撮ろうか」と尋ねた。すると、娘は「今日は私がお母さんを撮る番だよ」と言った。そのやりとりを聞いて、私も母を思い出す。「母が隣にいてくれたら2倍、3倍、いや、それ以上に楽しくなるのに」とバラを見ながら少し寂しい思いを抱いた。私も、母が一番好きそうなゴールドマリーという黄色のバラをカメラに残した。

 母にもこのバラを見せたい。母に会いたい。母に話を聴いてほしい。私は母にLINE電話をかけた。母はいつも通り電話に出る。「やっほー」と一言。この一言で私はホッとする。今日も当たり前に私を受け止めてくれる人がいる。安心できる瞬間である。

 京都で一人暮らしを始めて1年。現在もできてはいないのだが、母離れは私の大きなハードルの一つだった。子どもの頃から、母はいつも近くにいて、私の話を聴いてくれた。母が仕事から帰って言う一言目は、「今日は何があった?」だった。この言葉は、今日という私の物語を母に聴いてもらえる合図だった。これは大学院生になって一人暮らしをしている今でも変わらない。話を聴いてもらえることが日常だった私にとって、話を聴いてくれる誰かの存在が近くにない現在は、自分の言葉を受け止めてくれる誰かを常に求めている。自分の機嫌ぐらいは自分で取ろうと思って、日記を書いたり、お風呂で独り言を言ってみたりしたが、思い通りにはいかない。自分ではない誰かに受けとめてもらえた。その感覚が私の自己肯定感を維持させ、自信を持たせてくれていたのだと思う。母は私のことをまるごと受けとめてくれていたのである。

 母は私の自慢の母である。ひととして尊敬している。母の娘でよかったと思っている。自分のことより、まず人のこと。母の生き方である。それを意識しているのではなく、自然とやってしまうところが美しい。誰かのために生きることが自分を生きることなのだと近くにいて感じている。

 母の日のプレゼントをしたい。母に感謝の気持ちを伝えたい。このように思うことのできるように育ててくれたこと自体が恵まれて幸せなことなのではないかと思うのである。

 私が今を一生懸命に生きること。自分を大切に生きること。母からもらった愛を誰かにどんな形でもいいので返していくこと。これが母への恩を回り回って返すことになると信じている。愛される経験をした私は、愛し方を知っている。母が教えてくれた愛を次の誰かに渡すこと。それが私が母の娘としてできることであると思っている。

 2023年5月14日、母離れが難しいと認識してから初めて迎える母の日。物理的に離れていても、こころはずっと近くにある。そのようにいつも思わせてくれる母に、心から感謝の気持ちを伝えたい。ありがとう。これからも一緒に笑い合っていこう。

 最後に、親しい人であればあるほど、感謝の気持ちを伝えることって難しい。花束やプレゼントなどの物をあげるのもいいけれど、そこに言葉を添えてみよう。少しの勇気がいるかもしれない。わざわざ言わなくても分かってるよと言われることは百も承知だが、言葉にされると絶対に嬉しいはず。だからこそ、母の日というイベントをきっかけに言葉で伝えてみてもいいのではないかと思った。

 最後まで読んでいただいてありがとうございました。母の日という今日が一人でも多くの親子にとってかけがえのない一日となりますように。

京都府立植物園 バラ園にて

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