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川は自分を写してる


湖の魅力

ここ最近、湖に惹かれている。
ただ、湖の何に惹かれているのか、まだよく分からない。もちろん湖の景色は美しい。
海のような獰猛さはなく、かといってもちろんプールほど安全ではない。波がないわけではない。風が作る波紋は大きくなり、規則正しく岸に届く。

「素晴らしき世界〜もう一度旅へ」吉田修一さん

湖の波は、規則正しく美しく。
その波の長さ加減は、風のみぞ知る。

その規則正しさは美しくもあり、
退屈でもある。だからなのか、

私は川に、ずっと惹かれている。
湖たちのことは考えたことがなかった。

せいぜい、泳いでも、しょっぱくないし
からだがベタベタしなくていいくらいだった。

ただ、
自分以外の人が
自分が好きでないものに、
惹かれているといわれたら。
それを観察してみたら、
自分が好きなものの理由が浮かび上がるから
面白い。

好きじゃないもの
無関心なものの中にこそ、
自分がいる気がしてくる。

たとえば、海といえばカモメである。鳴き声も甲高く、荒々しい波によく似合う。一方、プールの水面を飛び交うとなると、晩夏のトンボだろうか。こちらも穏やかな水面に似合うものだが、これが湖となると、鴨の親子が並んで泳ぐ姿になるのかもしれない。

同上

かもめの白は、海に似ている。
トンボの平べったさは、プールの水面に似る。
鴨の丸みと穏やかさは、湖に似てくる。

似たもの同士だから集まるのか、
集まるから似てくるのか。

とすれば、川が好きな私は川に似ている。
行く川の流れは絶えずして、
一箇所に留まらない。
上流で雨が降れば荒々しく濁流に。
日照りが続けば、川底があらわになるほど、
枯れてくる。
一直線な川はない。

常に変化していたいし、
周りに合わせて変化もする。
岩にあたれば逃げ道を変える。

そうして最近、川に似てきた気がする。
毎朝川沿いを歩くからだろうか。

とすれば、湖通えば、
湖人間になる。似てくるんだろうか。

湖な人は、
一定に穏やかで、
すべてのものを受け入れる包容力がある。

そういえば、
川に集まるものといえば魚だ。
魚の目は、常に時流を読んでいる。
湖にも魚はいるけれど、川が合う。

自分で泳ぎ続けるよりも、
川の流れを読んで、
川の流れに身を委ねていたい。

印象的だったのは、まだ朝が来る前、目の前に広がっていた鈴色の湖面が、まるで誰かの大きな「目」のように見えたことだった。
もしも海と湖を比べるとして、たった一言でその違いを述べろと言われれば、海は見るものだが、湖からは見られると答えたい。

同上

海は見るものだが、
湖からは見られるもの。

だとしたら、川は?

見えないもの。
常に変化しており、
捉えようのないのが川だ。

だから好きだったんだ。

何も、不気味というのではない。かといって、あたたかい眼差しとも言えない。それは、どこか冷静で、どこか真実で、どこか自分がよく知っている「目」だ。
悩みを相談しても、決して答えてはくれないが、じっと聞いてくれているような。・・・・・だからといって、こちらが調子に乗って笑いかけても、今度はそのすべてをすうっと吸い取ってしまうような・・・・・・、そんな「目」である。

同上


湖に見られている、ってドキドキする。

見透かされているようで、こわい。

川が見えないのは、ワクワクする。

見透かしてやろうとすればするほど、逃げる。
目を瞑って、音を感じれば、見えてくる。

その強弱や、高低、談寒さえ見えてくる。
川は、見られたいと思っている。
だれかにこの、止められない自分を、
捉えて欲しいと思っている。

流れ続けているくせに。

吾輩は、川である。

川をみていると、自分を見ているようだ。
川を見ている時の自分は、自分を見ている。
見えてくる。


今日もお付き合いいただき
ありがとうございます。

川の写真を撮ろうとしたら、
ピンボケてた。
川は、定まらぬ自分を写していた。

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