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今まで書いてこなかったことの中にこそ、ある生き方


書くとき、あなたは言葉を一列に敷く。
並び置かれた言葉は坑夫のつるはしである。
彫刻家の丸のみ
外科医の探り針である。
あなたはそれを駆使して道を敷き、その道をたどる。

「本を書く」アニーディラードさん

書くとき、わたしは、
ある「任意の一点」を決める。

いまこの瞬間であればそれは、

それを便りに、
きょうの出来事をひっくり返す。
白く広がる砂浜から、白い貝殻を探し出す
ようにして。
また今日読んだ本の一節をたぐりよせる。
今日という一日の道をたどる。

しばらく行くと、自分が新しい領域にいることに気がつく。そこは行き止まりだ。
いや、それとも手堅い主題をつかんだのか。
それは明日わかるだろう。
いや、今回は来年にならなければわからないかもしれない。

同上

しばらく行くと、
思いがけない言葉に出会う。
自分が書いたと思えないフレーズが出ている。

それが生まれた瞬間に筆が止まる。
いや、親指がとまる。
そこから先が書けない。

それはまた、コレダ!という興奮を伴う
発見にたどり着けた喜び。

ただし、
それは、noteに投稿した翌日の
リアクションいただく数次第でわかる。

いや、半年、一年たたないと
わからないかもしれない。

あなたは勇敢に道を敷き、
おっかなびっくりその道を行く。
道が導くままに進む。

同上

次の日、その興奮を引きづりながら、
リアクションにおびえながらも、
また書く。
道が導く。

過程に意味はない。
跡を消すがいい。道そのものは作品ではない。

同上

しかし、
ここまで書いてきた悩みや葛藤。
はたまた、興奮を伴うフレーズを生み出せたことに、意味はないんだろう。
だから、書いたことは忘れることにする。
忘れた後に、道ができる。

あなたが放棄しなければはらないのは、
単にもっともよく書けた文章というだけでなく、皮肉なことに、今まで書いたものの中でももっとも核になる部分なのだ。

同上

もっとも核になる部分ー。

「書くという生き方」

が、核だとするなら、
それを放棄しなければならない。
のか?!

棄てたら、何が得られるのか?
わからない。

わからないけどそれは、

「自分が書いてこなかったことに、
 生き方があらわれている」

んだという気づき。

捨てて観て、はじめてきづいたこと。

きょうで、
200フォローをいただきました。
150日毎日投稿。
お読みいただき、いつもありがとうございます

これが、300フォローいただく日の景色には
きっと、
「書いて来なかったことをたどる道」
があらわれていると思う。
そこに、新しい生き方があるきがします。

写真は、今日食べたおそばです。
そこで、「カルダモン」というお酒を
はじめてのみました。

「いつものアレ」じゃないアレを頼むとき、
新しい自分がみつかる。
大袈裟かもしれないけれど。

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