いのちづな
「木下大サーカス」を見に行きました。
空中ブランコや、
百獣の王、ライオンの演技など、
ハラハラドキドキします。
「もう、そんな怖いことせんといて!」
と、こちらが思ってしまうくらい
人間ばなれした演技に、
ジェットコースターが2時間続くくらいの
スリルがあります。
(途中でてくるピエロが、
フルコースの合間の
シャーベットみたいにすごい癒されます)
とはいえ、見てる方は、
空中ブランコの下にある
セーフティネットや、
ライオンを囲む強靭な檻に、
どこか安心はしてるんですよね。
パフォーマーの方々の平常心、
本来の力の発揮の支えにもなってます。
サーカスにおけるパフォーマンスにかぎらず、
私たちの日々の暮らしも同じと言えそうです。
「どんなに頼りなくても」
たしかに、車がビュンビュン走るところの
ガードレールてきなものの安心感たるや。
「守ろうとしてくれている」と
「感じる」。
noteのフォローもスキも。ビューも。
会社での挨拶も。
目線が合うだけでも。
救われる。
「感じるときに のみ」
のいう言葉が強烈です。
そうでないときは、
「人として生きられない」
とも読み取れる、この言葉。
「人として」生きられるには、
人のためにもそうだし、
自分が自分のための、
命綱やガードレールをもてること、
いくつか備えておくこと。
頼りなくても、自分を頼りにすること。
精神科医さんの言葉ですから、
実際にはもっともっと重たいものだし、
いろんな意味が含まれていると思います。
「千年の読書」著者であり
「書きたいが書けるに変わる創作講座」
コーディネーターの三砂さんの、
「千年の読書」の本で紹介されていました。
そこに、印象にのこる一節がありました
今日もお読みいただきありがとうございます。
あしたは大雨の中、新幹線で東京へ。
とまらないといいな。。
自分を守る、パンは持参して行こう。
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