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おいしい暮らし


「おいしい」は味なのか
現代の食卓と料理の起源

「千年の読書」三砂慶明さん

おいしい、は味じゃないのか。
おいしいという味はなくて、
おいしいという場面。

味覚をくすぐる、旨味、辛味、酸味、甘味。
いろいろあるけれど、
それは味であり、味だけじゃない。

おいしいものは好きだけど、
「おいしいなあ、これ」っていう会話と
その空間を楽しめる人間関係が
好きだ。
でもある。

「スーパーのカートには人生が詰まっている」と買い物カートに置き換えてみせたのが、アメリカの料理人キャスリーン・フリンです。

同上

おいしいものや、おいしい暮らしをつくるため
スーパーにゆくのも好きだ。

あんまり、「スーパーのカゴの中身」
を気にしたことはない。
厳密に言えば、自分のスーパーのカゴの中身は
日常だし当たり前すぎて、
「買わなければならないものを買う世界」
なので、
気にしない。

けど、
スーパーのレジの前に並んだ人の
「カゴの中身」って気になりません?
見ちゃう。
(私だけ?)

まず、全然違うんですよね。

まず、量的にてんこ盛りだったり。
質的にお菓子、お酒、など集中投下、
だったり。

そこに、
「人生が詰まってる」
ってほど大袈裟に考えたことはなかったけど、
スーパーのカゴの中身は
「習慣のおもちゃ箱」
だとおもえば、そこに暮らしの、
生き方の半分があらわれるとおもうと、
面白い。


フリンさんの着眼点。

フリンは箱詰め加工食品や冷凍食品や缶詰ばかりを選んでいたある母親のカートをつけまわします。
そして、大胆にも見ず知らずの母親に話しかけて料理の方法を伝えようとします。
しっかりと献立を考えて食材を自分でさばけるようになれば、高いと思われているオーガニック食材の方がむしろやすくつく場合もあるし、
何より健康になれると語りかけました。
なぜ、フリンはそんなおせっかいを
はじめたのか。

同上


見ず知らずの人に声かけられたら、
びっくりしますよね。

なんでそんなおせっかいをしたかー

は、続きにあるので割愛しますが、
要するに、おせっかいなんですよね。
大きなお世話。

人の暮らしのおもちゃ箱に介入する!
ことで暮らしだけでなく社会を変えようとする
気概がある。


食の思想家であり歴史学者の藤原辰史が、中高生とともに食について本気で議論した
『食べるとはどういうことか』の冒頭で、8名の参加者にこう問いかけています。
「いままで食べたなかで一番おいしかったものは?」

同上

の、答えは次の三つに集約された
そうです。

・お母さんの味
・特定の店
・状況依存型

特定の店、でいえば、
だいたい好きなラーメン屋の
好きなラーメン。
(そういえばきょう昼に食べたラーメン屋に
 NHKの「沼にハマってきいてきた」が
 来ていて客である私の顔を撮られました)

状況依存型、がわたしのなかで
1番のヒット。

富士山の八号目で食べた、
白ごはんに梅干しだけの1000円の弁当です。

お母さんの味はもちろん有無を言わさず、
それは暮らしの習慣だからマイベストなのは
間違いないけど。

おいしいを味わえるのは
人と人、空気と空間、状況設定。
これが一番。

科学でコントロールされた味ではなく、他者や記憶が幾層にもからまりあったネットワークだという事実です

同上


「他者や記憶が幾層にもからまりあった」
味。

それは人生を味わう暮らしそのもの。

一人では味わえない
一人では生きられない
いまだけでない記憶に基づく
あたらしい記憶をつくる味。

幾層にも折り重なりあった
出会いと別れがらひとをつくり、
味を作る。

食べるって、生きること。
味わうって、生きること。
おいしい暮らし。

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