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「何もないところ」から生まれる 〜ある風景④〜


何にもない公園。

ただしくは、
このグラウンドの反対側に、
幼児・小学生が遊べる
大きな滑り台とか楽しいのがある。

その反対側に、
縦横100mくらいのだだっぴろい、
砂だけの広場。

何もない公園


公園も色々行き尽くしたけれど、
案外、こういう
「何もない」ところは少ない。

何もないところに、
放課後、子どもたちで
てんこ盛りになる。

サッカーも野球も、なわとびやら、
バレーボールやら、入り混じる。
鬼ごっこまで、その合間を縫うように、
繰り広げられる。

「遊び」はそこに生まれる。
考える。
工夫する。

「在る」
滑り台も、楽しい。
けど、

「無い」
ところだからこそ、
あーだこーだと
考える。
そのプロセスが楽しい。

ゲーム機も、
スマホもタブレットも、ない。

在るのは砂と人。


きょう、子どもと公園にいったら、
たまたま同学年の友達兄弟と、
予期せず現れた小学生の同級生と、
お父さんと、チームが組まれて
サッカーが始まる。

お父さんは正直しんどい。
でも楽しい。

題目や指示のある
工作や絵画も楽しい。
「制限」があるからこそ、
考えざるを得ない環境だからこそ、
何もないよりも考えやすく、
研ぎ澄まされて、
生まれるものももちろんある。

一方で、
与えられるもののなにもない
世界に生まれるものは、予期されない
何かが生まれる予感がする。

学校も、会社も、社会も。
基本、「何か」がすでにある。

「こうやってやるんだよ」と教わる。
「こうしなければならない」と言われる。
「こうしてはいけない」と縛られる。

そんな何かが在る。
嫌なわけでない。
なぜなら、
「楽 ラク」だから。
考えなくて良い。

いつしか、ないものねだりではなく、
「あるものねだり」になっていた。

だからなのかな。

「何もないところ」に妙に惹かれた。

「自分にはまだ、何もない」
ことに、恐れることはない。

何もないことは、未来だ。


きょうもお読みいただきありがとうございます

砂のグラウンドで遊んだ後は、あぶない。
家に着いて、靴下を脱ぐ時が、あぶない。

一見、いつも通りの靴下なのに。
脱いだ瞬間、砂たちがバラバラばらと・・
部屋の中に・・


怒られる!!!

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