「自分を転がす」で書く
流行語は、判断停止・思考停止にさせる。
流行語を使う側も、使われる側も気分がいい。
高校時代の文化祭、いや後夜祭のようなノリは
ノリで終わる淡い思い出になる。
雰囲気に酔いしれることは快だけれど、
文化祭を作り上げるまでの葛藤や苦労の中に
ある物語は、きちんと物語らないと残らない。
ノリの海に預けて仕舞えば、あとは浮かぶか、
流されて消費されていく。
自分らしさ以上に、自分らしからぬ言葉を
預け、世間の海にウキを作るには、
流行語をあえてつかわずに、言の葉を生み出す
見ないため、感じないためー。
皆が、感じていることを見るため感じるために
書くと思ってた!
けど真逆をいく。
書くという流行に乗らない。
語られていない、
見られていない、
感じられてもいないことを、
探しにも行かない。
「見えないものに変形する」
と言われてももはやもう、どうしたらいい!?
と路頭に迷いそうになる。
流行の反対は不易。
不易は当たり前すぎて目には見えない、
息するかのように使われる言葉であり物語だと
するならー。
人々が感じない不易を、
もっと不易にしていくために、書く。
究極の快、書く目的。
書くことは、考えること。
考えずに書くことは、書かなくて良い。
転じる先は、奇をてらったものではなく、
不易すぎて、沁みるように驚かす言葉。
読者を転がす。
流行語では、転がらない。留まる。
拉致!
自分が転んだことのある文章はいつも、
小さな石です。
大きな石を置かれても転がることはないけれど
普通に歩いてると気づかないような、
小さな、そして丸みのない尖った石ほど、
つまづいては転がる。
転がされる。
自分が転がると痛いです。
転がると分かってて転がるのは痛いです。
あるいは、転がると気づかずに置いてしまった
見たことのない石は、もっと痛いです。
そんな痛みのない文章はもはや流行の一部。
七転八倒、七転び八起き、輪廻転生。
そういえば、人生の転ぶ教訓、
人生の二週目におよぶ転がりは、
沢山あって、
それは生きることであり、書くことだった。
転んでも、誰かが助けてくれる
とは思わずに、転んでみたい。
だるまさんが、転んでも、縁起はわるくない。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
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