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生まれ、育ち、暮らしの中に方言を。


方言は父や母からの贈り物

「大河の一滴」五木寛之さん


noteを書いていると、
たまに大阪弁が出てまうんです。
喋る時は意識しないけど、
文字で書いて、見て、
あ、ここはなんか大阪弁出てしもてるやんとか
無意識だったり、
あ、ここはむしろ大阪弁の方が、
伝わるかもしれへん、とか。

みなさんは、そういうことありますか。

自分の方言は、自分では気づかないし、
当たり前過ぎて、贈り物だなんて考えたこと、
なかったんですが、
「母国語」日本語ならぬ
「父母語」大阪弁ー方言という、

贈り物だとおもうと、なんだか
大事にしたいし、大事にしてきたから、
自分が在るんだと。

九州に6年半、社会人で過ごしたけれど、
博多弁、長崎弁になってない今は、
大阪弁を選択した自分がいる。

それは生き様。

あるときから、面倒くさい言葉でいいますと
アイデンティティといいますか、
自分がどこかに属しているか、
自分の足がどこの大地を踏まえて立っているか、
自分がどこの人間であるか、などということを自分でしっかりと確認するのは非常に大事なことで、そのためには自分の喋りかたとか、言葉とか、そういうものが不可欠の要素である、と考えるようになってきたのです。

同上

どこの大地を踏まえて立っているかー。

踏まえているか。
逃れられないし、
逃れる必要もないし、
一時期大阪弁の品のない感じが
嫌だなあと思うこともあったけど、
言語って自分を構成する不可欠な要素で、
自分がそれを認めてあげないで、
誰が認めてあげるのか?

方言を選択している意識は
自分を選択している生き方。

〈方言は国の手形〉なんていう表現が、むかしはあったそうです。
むしろ、私たちが付け焼き刃の共通語で、都会ふうの言葉で気のきいたこたをペラペラと喋るよりも、何千年にもわたってそこで営まれてきた人間の生活をずっとしょいこんできている自分の〈言葉〉を大切にしなければいけないのではないか。自分の訛りの強い喋りこたは、
恥ずかしいことは恥ずかしいのですが、
でもやっぱり、その人間の個性として
矯めたり曲げたりせず、
むしろだいじにのこしておいたほうがいのではないか、と考えるようになりました

同上

何千年もしょいこむのは重いけど笑

なんの恥ずかしさも躊躇いもなく、
むしろ可愛がることは、先祖を可愛がること。
慈しみ尊ぶこと。

もうすこし、大阪弁を遊んでもいいし、
生き方を遊んでもいいと思わせてくれる、
ご先祖様。それは自分と血の繋がりのない
人たちとも、この地に生きてきた証を、
受けつないでいくこと、なんて大袈裟な遊び。


私たちはそれぞれ、自分が生まれた街、
育った街、やってきた街、働いて酒を飲んでいる街、出ていった街について書いた。

私たちは要するに、私たち自身の人生を書いたのだ。

「大阪」岸 政彦さん、柴崎友香さん


生まれと育ちと暮らしは、人生。
それを書くことは、生きてきた過去と、
これから生きていくだろう未来を、
いまつなぐこと。


私も柴崎さんも、大阪を書くことを通じて、大阪で生きる自分の人生を書いた。
大阪とは、あるひとつの、「そういう空間」のことだが、私と柴崎さんにとってはそれは、暮らしていた街、暮らしにきた街ということでもあり、
だからそれは、
「そういう時間」のことでもある。

同上

空間は時間。
これもまた、誰も否定しようのない、
感情を伴う事実。

大阪とは、単なる地理的な位置や境界線のことを指すのではなく、
そこで生きている時間のことでもあるのだ。

大阪という空間、大阪という時間。
だから、街は単なる空間なのではなく、
そこで生きられた人生そのものでもある。
ただ単に空間的に人々が集まっているだけではなく、
人びとの人生に流れる時間が、そこには集まっている。

同上

ひとりじゃない。
何年もリレーして、いまをリレーして
重なり合う人生同士が、
流れている街。

それが、大阪でよかったなあ。
とおもえることは、
自分に生まれてきて、よかったなあ。
と思える場所と時間。

なんやなあ。

きょうもお読みいただきありがとうございます

写真はあじさいです。
小学校の授業参観の校庭にて。
梅雨はなんだかくるのかこないのか。
来ても来なくても、
あじさいは咲くんだから。
誰がなんと言おうとも、
環境に左右されない強さと。
でもちょっとのしなやかさを。
はなやかさを。

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