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『「文章を書く」とは、自分ひとりしかいない部屋でパンツを脱ぐようなものである』〜note丸半年〜



noteを初めて毎日投稿、きょうで丸6ヶ月に
なりました。

「自分を変える唯一の方法は、焦らず毎日続けることだ」

https://x.com/kensukekintore/status/1809150233445822790?s=46

と、聞いてまた、続けてよかったなあと
思います。月の節目にはアクセスログを
あげてたのですが、今月はスキの降順でなく
ビューの降順にしました。
スキももちろんありがたい、大前提で、
「見てもらえてる」(かもしれない)ことも
とても光栄なことだなあと思います。

ちょっとは変われたかな。

ネットで文章を発表していると、酷評されるときもある。
「この文章を書いている人物には文章力はない」とコメントされても「言わせておけばいいさ」と平然と受け流し、自分の文章が相容れない相手にまで行き届いたと解釈してやりすごそう

「神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する」
フミコフミオさん

酷評されることは、まだないです。
まだないですが、半年続けられて思うのは、
「相容れられなくても」
という気持ちで書けばいい。

と思えたことです。

共感、スキをいただくことは嬉しくて。
そのうえで、
「スキじゃない」とわざわざ
言ってもらえるようなところまで、
届けられたら、というのが、
次の半年。
さらにその次の半年は、
「スキじゃなかったけど、スキになった」
くらいになれたらいいな、

「自分の世界が超拡大した結果、会わなくていい人間とバッティングしてしまった」と
ポジティブに受け止め、軽く流していくことが大事。
なぜなら、文章とは“過去”にすぎない

同上

文章とは過去。
たしかに。
未来のつもりでした。
が、
過去にできるから、
半年かけたんだ。
そして,過去にとらわれずに、書くから
書けるんだ。


「文章を書く」とは、自分ひとりしかいない部屋でパンツを脱ぐようなものである。
恥や外聞やプライドが意味をなさない場所で、自分をさらけ出す行為なのだ。

あなたの文章はあなただけのもだ。

同上

半年前は、パンツを脱ぐくらいの
恥ずかしさ、照れ、怖さがありました。

いまは脱ぐように書けるように
なりつつあります笑(室内)

だれかのものになったらいいけど、
だれかのために思いすぎると
書けなくなるので、
自分のために書く。

だから、続けられたのかな。

でもやっぱり続けられるのは、
投稿した瞬間にスキくださる方。
投稿してしばらくして、
わたしが忘れた頃にだいぶたってから、
スキくださる方。
(その方には、そのタイミングが初版!)
コメントもいただくこと、
リポストいただく方も増えた
6ヶ月目でした。心から感謝です。
7ヶ月目もぼちぼち、自分らしく、
自分らしからず続けます。

きょうも、いつも、
お読みいただきありがとうございます

写真は、日傘男子です。
四年前くらいから日傘男子です。
日傘男子とあえていうのは、
日傘男性人口がふえないなあ、
と思うし、ふえないと、恥ずかしさは
消えないからー。

けど、まあ、パンツを脱ぐように、
noteでさらけだせるようになれてきたので、
気にせず、日傘をさします。
だって暑いもん。と。
数年後には、日傘男性人口ふえてるかな。

日傘は、自分と社会を、映してる。
日傘の下の自分、日傘の外の社会は、
いつかひとつに。

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