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そういえば休学終えた今、過去の自分に伝えるなら①

2024年1月
ふと思い出したようにこのnoteを書くことになりました。
その時一番書きたいことを書いちゃって計画性も何もないから、
前のnoteでこんなこと次書くよって宣言してても全然書いてなかったりする。
そういうのが大量発生してるけどゆるゆるやってるのでお許しを。

そういえば休学して復学したなと。
紙のノートに思ってること気づき自分の心境状況なんかをずーっと書いているのが形は変化しながらもう高3から、5年くらいかれこれ文章だの内面だのを言語化することをやっているのですが、
ちょいとそれを振り返ったときに
1年前
全然今と見えてるのちゃうなあと!
割と変わっていない部分も多かったのですが、あのぼんやり暗中模索だった時と比べるとめちゃくちゃ具体的に見えてきた気がしていて、それにより今はかなりわくわくとポジティブがうまれやすくなっていると感じます。

どうして休学を選択したかまでは上のノートに丁寧に書いてるので、ぶっちゃけどうだったか??ってところを割と身も蓋もなく書いていこうと思います。
今、やってることをずっと続けるのがなんか違う気がする、こうやって生きていきたい、って未来像にまだワクワクできてない人へ。ワクワクしていたい人へ。
目的を持ってないのに休学なんてって思ってる人に。


大前提、「休学」はただの箱です

ここをまず伝えておきたい。
休学とは、学校を休むこと。それだけ。それ以上もそれ以下もない。
何か、があるのではなくて、
やってることをしない、という選択のことです。

何かモノがうまれるのではなくて、何もない空間がうまれること。
あたりまえだけどこれを認識してほしい。

授業と研究とサークルと寮の活動…埋まってたのを全部捨てた
これは研究場所の一枚。好きだけどね、研究。
自分のすべてを捨てて進み始めた
ルポ(山梨→長野)から始まった

大学とか就活とか卒論とかそういうのは一旦おいておいてまっさらな白紙に人生を描くなら?

これは休学検討してる人にも検討してない人にも届けたい。
だけど、休学は人生を「やらなきゃいけないと思っていること」を「やらない」という選択をすることによって

「やらなきゃいけないと思っている人生のイベント」
を一度抜きにして、できたら親の目や友人の目も抜きにして
『いったい自分はどんな人生を送りたいのか』
目の前に広がるまっさらな白紙に描いていくきっかけになることな気がしている。

なぜなら自分で決めなくてはならないことが多い時間を過ごすから。
それが別に周りの人や友人には今までほどは影響を与えない。
(休学の内容によるけど、今まで関わっていた人とはまた違う人間関係の距離感になることも多い)
自分の卒業や就職にも多大な影響を与えるわけではない。(多分)
そんな時に、自分は何を思って何を目指して、何にわくわくして、生きるのか。
誰のためなら、自分の何をしてもいい時間を使いたいのか。

本当は、この問いに自分なりの答えをもって生きている人ほど自分の人生を楽しめて満足できるのじゃないかなと思うのだけど、
普通に小中高大就職と進んでいたら、今の過程は次の○○でよいところに行くとかそういう感じの枠の中で考えてしまうので、まっさらな上に描くような思考をすることはなかなかない。

一方で、私はこのまっさらな白紙に自分の人生を描いていくことを皆にお勧めする勇気は今のところない。
なぜなら、何も指針がない中でいろいろ探っていくのはなかなか苦しいことでもあるから。
まっさらな白紙に描いていくって書くととても美しいことのような気がするけれど、周りに何もないと自分が感じてしまう砂漠の中を歩き続けるとか(ヴィヴァン思い出すね)真っ暗なトンネルを歩き続けるとか考えてみると苦しい可能性もあることがわかると思う。

だから、まっさらな白紙の上といいながら、いろんな人生生き方を見てみるとか、過去の人を見てみるとか、本に触れてみるとか。
とにかくインプットはするといい。
あとは、やっぱり環境で変わるとは言え、生まれながらの人間の個々の性質ってものは存在しているのじゃないかなと思う。人と話して元気が出るとか、自分の世界に入るのが好きとか、モノづくりみたいな新しいものを生み出すのが好きとか。そういう性質って、正しく知って正しくそれが活きる指針を自分で描いてやるのがよかったりする。だから、過去の自分のモチベーションやわくわくから自分という人間を知っていくのも大事だ。

とにかくいろいろな人に出会って話を聞いていろんなところに行って
インプットしまくった

それでも、迷走の罠にはまる可能性はある。
ある程度諦めをもって、ある程度決まっている道を歩むことはそれはそれで幸せだと思ってるし、それから外れたらもしかしたら迷走してしまうかもしれないしもしかしたら自分にピッタリな道を描くことができるかもしれない。だから、安易にまっさらな白紙に自分の人生描いた方がいいよ、なんてことは私はまだいう勇気がない。

だからこそ、迷走しても外からの目で客観的に見るっていうサポートができる環境だったり、迷走しながら進むことが精神的にできるような環境(たとえば仲間がいる、とかね)も作っていきたいなって思ってる(自分について考える人が増えて、社会について考える人が増えた方が圧倒的に世界はよくなると思うし、何より自分がそうやって自分の軸があるような人たちと生きていきたいなって思ってるから)けど、またそれは別の話。

※ちょっと今『しなきゃいけないと思ってること』から逃れて考えてみる、ってことにリスクはないと思う。「あーわかんないな」って思って帰ってくればいいから。


一旦ここで区切ります。
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ではでは


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