さつまいも伝来について いくつかの説があり、 そこのところの何がそんなに大事なのか さっぱり分からなかった。
“俺のままでBlingしてBangしてBangする為にBongしてきたニッポン”(これを秀吉風に)
引っ込み思案なんだな。
私は、QURASで大きく損をした。 私は、NOAHで確かに騙された。 AVANCEの自動売買ツールも結局は、 自らの選択に託される。 暗号通貨、FX取引含め 精神的にも付着をおった。 マルチアングルのタスクがかなり 侵食を負った。 お金に目が眩んだ。 このままじゃダメな気がした。
私たちは 他所で 自我と呼ばれるものが 他我として 機能しているのであろう。 おかしい😕変な救済
テレビ 画面 これが成り代わった。 歴史が意味を持たなくなったのは それらがやってきて 最も有用な可能性として 陣取ったからであり そもそもの 己のスケールを 量り間違う 歴史資料は 自ら紡ぐ瞬きのようなもの であったのだろう。 木簡ごと なんぼでもドラマは生み出さる。
雑務交友親しい中 いっときの寄進をも嫌います。 予期せぬ原風景が このよなものと 私には繕いもせぬ いまはしう その既知をも ただ誰かのお相手と。
う〜ん。 アジールをどこにみるか、やと思う。 網野と渡辺の本を読んだわけではないので 著者に撒かれているのだろう。 私としては、これは、観察次元の不相違だ。 私の中に生じる価値観はどのようなところからくるかと言うと、怖さ(苦しみを直視できない弱さ)から来ると思っている。そこは、どうしてもふわっと浮いてしまう。 歴史が何なのか さっぱり分からない。
人の世話の焼き方は様々だ。 人を気にかけることを、世話焼きとする。と、 誰かを気にかけるのは 自分のどうしようもなさを 他に添加して うまいこといくといいな、と 下手な想像をまく作用だ。 私が置いてかれる。 それが一番嫌なくせに 人を気に掛け その虚しい気持ちを寛大に化かす。
私は、拗ねている。 私は、相手を見ない。 私は、話は聞いたり聞かなかったり 思うことがあれば話す。 何か物をカチカチ鳴らしてる(鳴ってる)と 場がもつ。 カチカチ カチカチ 立ち去ろうとしない。 カチカチ カチカチ どうということはない なんということもない 何 したいがない。
焼きもちだ。 目の前にいる男性が 美しく見えたら 私は どうなのか分からなくなる (のだろう) 女性の私より女性的(身体性、顕在性において)であることの 受け入れなさが この私の偏屈のサガ。 盲目のイリュード。
子「全部俺が悪いみたいに言わんでくれん」 あたしはどこに、 あんたが悪い、をプラスしてるのか。 落としてしまう、こぼしてしまう、 という偶発の共有として捉えるのか それよりも、 落とさないように気をつける こぼさないように気をつける そのこと怠慢である と思えてならない。
グリーンランド。
“南北戦争後、黒人奴隷は農場主の奴隷ではなく、企業や農場経営者にやとわれる賃金労働者として再組織化される。” 「飢える自由」、「職業選択の自由」 「失業」という現実 を得る。
🏳
ごまかす術を知ったほうが ええんとちゃうか