ゲジゲジ

こんな話がある。

Aさんが新社会人として上京し、半年が過ぎたあたりから、それは現れるようになった。幽霊だとか霊的なものではなく、Aさんは時々、ふとした時にゲジを見かけるようになった。

多足類であるゲジは、不快害虫として度々人から嫌われているが、Aさんの出身地がなかなか稀に見る、ドが付くほどの田舎であったため、最初はあまり気にしなかったそうだ。
 会社のオフィス内や、友達とよく行くバーの隅、どこから入り込んだのか家のトイレにも時々現れていた。その度Aさんは無視するか、家の中で見た時は殺さずに外へ逃すようにしていた。昔祖母から、ゲジはゴキブリを退治してくれる益虫だと教わっていたためだった。

 しかし数ヶ月後、そうは言っていられなくなるほど事態は深刻になっていた。朝起きると、目覚まし用のアラームが鳴っているスマートフォンの上に鎮座していたり、昼食後にウトウトしながら作業をしていると、どこから来たのかゲジがキーボードの上を忙しなく這っていることが度々あった。
 東京にしたって、こう頻繁に遭遇すると、流石のAさんも不気味に感じてくる。そして彼らは必ず、Aさんが室内にいる時にのみ姿を現すらしかった。その意味がわからない法則もあり、一層不気味に感じていた。

 そうこうしている内に年末が訪れ、Aさんは一時的に実家へ戻るため、キャリーケース片手に新幹線の駅へ向かっていた。この頃になると、もうゲジは1日に数匹のみ見かけるのはいい方で、酷い時は20匹以上見かける日も少なくなかった。
 この日も例の如く、室内なら神出鬼没な彼らにAさんは辟易していた。そして彼らに注意を払うことに疲れていた事もあり、Aさんは1匹のゲジをケースのタイヤで轢いてしまった。一瞬しまったと思ったが、もう彼らのストーキングのような遭遇率にうんざりしていたAさんは、急いでいた事もあり、さっさと駅構内をまた歩き始めた。

 恐らく、これがいけなかったのだそうだ。

 それが起こってから数ヶ月間、Aさんは毎日ゲジを殺し続ける羽目になったそうだ。以前と比にならないほど大量のゲジがAさんにまとわりつき続けた。
 ある時は、職場のデスクの引き出しを開けると、中から十数匹のゲジが這い回っているのが見えた。その時は、Aさんが、職場でいじめられているのでは無いかと、社内で問題になった。また、自宅では、そこらじゅうをゲジが這っているのが普通になった。避けきれずに踏み潰す、トイレの便器にはいつもゲジが浮いている、掃除機はゲジを吸いすぎて詰まってしまい、使い物にならなくなった。下水道の弁や、窓の隙間を埋めるなどして、完璧に対策しても、効果が出ているようには見えなかったという。
 一番きつかったのは、その日、朝起きると口内に違和感を感じ、うがいをするとゲジの体であったものが口から出てきたことだった。
 この辺りから、Aさんは病んでしまい、会社を辞めて、実家に帰ってしまったが、そこでも同じような現象は起き続けた。最初、Aさんの家族は、この話を聞いた時、Aさんが病んでしまったことによる幻覚ではないかと思ったが、その疑いは、Aさんが実家に戻ってから、すぐに晴れた。

 そして、その現象は、いつの間にか止まっていたそうだ。始まったきっかけも、終わったきっかけも、なぜ起きたのかもわからないまま、Aさんはゲジから解放された。今、彼女は、病院に通いつつも、つい先日、社会復帰を果たしたらしい。
 その報告を電話口で聞きつつ、彼女はしみじみと言った口調で、こう言っていた。

「一つだけ、まだ終わってないことがあってね。あの事件から、昔から飼ってる、実家のミケ(ねこちゃんである)とか、懐いてくれていた近所のチワワとか、動物にも嫌われるようになっちゃって…あとほら、わたし昔から虫刺されしやすい体質だったじゃない?あれ以来、わたし、一度も蚊に喰われてないんだよね、まぁそれはラッキーなんだけど。よくわかんないよねー。」

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