見出し画像

ウルフカットスモーカーの夕暮れ

コンビニでバイトをしていると、不思議なほどいろんな人が目に映る。
そんな人たちを、バイト仲間たちと人間観察するのも、この仕事の面白さだ。


190cmはありそうなヨーロッパの男性は、お釣りを渡すとカタコトで「アリガトウ」といつも伝えてくれる。

かと思えば、タクシー運転手のおじちゃんは、無愛想に好みの銘柄の番号のみ呟き、顔色ひとつ変えずに店を去る。

ベビーカーを引いて毎回大量の買い物をする家族もいる。無垢な瞳でこちらを見つめるお客さまに微笑むと、微笑み返ししてくれて、卒倒しそうなほど可愛い。赤ちゃんがいるグループは、それだけで明るげだから、良い。

いかにもお金を持っているおじさまと、あまりに若い女性が腕組みしてやってくることもある。ラブアフェアで旅に出るのか、荷物が多い。焦って開けた財布からは、30枚は優に超えるほどの万札がこぼれ落ちた。「何してるのよ」という女は、驚きながらも落ち着いた様子だ。会計後、私は、「いってらっしゃい」と彼らに心で呟いた。

バイト仲間の元彼がやってくることもある。未練があるらしいが、彼女の方はもう何の気持ちもないから、来店のたび裏へと引っ込む。年上の男性とよく一緒に来るが、どんな関係かはわからない。細身で灼けた躰に、オールディーズ風の服をまとって、店内照明のなかサングラスをつけている。あまり好きな類ではないから、遠くから眺めている。

タクシー運転手の夫婦は、仲睦まじくいらっしゃる。店員にも丁寧に接してくださるから、こちらとしても雑談ができてほっこりする。角のない、優しい大人といった感じだ。店長も「今日はこれがお得ですよ」と言い、それに「そうなの!じゃあいただくわ」と返答する。つくづく気持ちがいい。


こうして日々色々な人に出会っていくと、相手の人生を想起してしまう。そして、自分の人生がどうかをつい顧みることになる。

うちのコンビニは、酒呑みや煙草好きが多く、よく来店する。
酒については私も好きだから、なんとか分かるし、「こういうのが好きなのか」と想像を膨らませることができる。
タバコはそうではない。番号を訊いて、探し、お客さんに売るという行為を、義務としてただ履行している。だが、環境習慣というのは恐ろしいもので、徐々に煙草を吸っている自分を想像してしまうようになった。銘柄ごとの特徴が気になり出し、喫煙者に一服の如何ようかを伺い立てている。

同じことが髪型でも起きている。同じ年代の人が来店したとき、「この髪型は自分に似合うかな」と脳内鏡につい投影してしまう。それを繰り返すうちに、良い悪いに関わらず、その髪型にしてみようかなという好奇心に繋がってしまう。


人は「繰り返し」に弱い生き物だ。一度あったことを何度も求めてしまう。
今ではそれを否定的に捉える人が多いが、いい面もある。私たちの文化・伝統は、確かに「繰り返し」の魔力の上に今日まで続いている。そして、それが「私たちらしさ」を生み、心の安定につながっている。
過去に囚われて馴れ合うことはよくないが、「繰り返し」は人間として重要なことだ。
「二度あることは三度ある」とよく言うが、それは本人が3度目を無意識的に引き起こしているのかもしれない。
頭の中で作った像は、いつしか「繰り返し」になり、現実になっていく。

人からもし直感と理性の両輪がなければ、今頃私は、ウルフカットスモーカーとして、コンビニから夕暮れの交差点に向かっているだろう。
すでにウルフカットにはなりかけているが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?