エロスという仮面
エロスを遠ざけて忌避することも、ファストに消費することも、人生半分損することだ。どうせなら、その仮面を深く覗きこみ、思いっきり赫灼と笑い飛ばしたいものだ。
先日、知人に連れられて東京スカパラダイスオーケストラのライブに参戦した。
スカパラといえば、ダンディを極めた錚々たるメンバーが織りなす、明るくも魅せられる音楽。酔いやすいのに、飲みやすい。ロングアイランドアイスティーのようにALC.度数を感じさせない恐ろしさがあると言える。
初参戦で感じたのは、年齢層の幅広さ。誰もが1人残らず虜になっている。それは音楽にでもあるし、そのメンバーたちにでもある。皆が皆、LEONの特集ページに掲載されていそうな相貌と雰囲気である。そして、そのムードが音にまで伝播しているようだった。大腿骨から手の指先まで、すべての動きが意味を持って、大胆で繊細な音を生み出している。それらが会場内で混ざり合って、さながらテニスコートのような気品ある闘志を醸す。空間が一体となったのを感じた。彼らの魂と観客の勢いが、欠けることなくぴったり合っていた。
塾のある生徒と話していて、こんな話があった。
その生徒はつい先日彼氏ができ、結婚をも見据えている(と本人は嘯いている)。
ある日、生徒が学校の女性教師と恋バナをしていたとき。その教師は、あまり浮かない数学の教師を「かっこいい」と評したという。生徒は理解できなかったようだが、教師曰く
とのこと。
中学生にかなり攻めた話をしたなと思いつつも、私はそのアドバイスに首肯した。それでも生徒は納得のいかないような姿だった。
教師の言う「大人のかっこよさ」については、スカパラに勝るものなしだ。奇抜な色のスーツを脱ぎ放って、しかしシャツまでは脱がずに捲り上げる。自身は汗を流しながらも、楽器の水抜きはこまめにするのを怠らない。おちゃらけながらも本気である。大人の余裕と熱気である。
エロスとは、大人の余裕から生まれるものだ。しかし同時に、その余裕を魅せ、伝播させるための「仮面」でもある。抜けたところもあるところから、スイッチを入れ、心身一体で「大人」を演る。その二律背反が見え隠れするところが、大人の醍醐味なのだろう。
大人になろうとするあまり、ロイター板を踏みすぎては、かえって面白みに欠ける。朧月夜のような、ある瞬間に「これぞ名月」と本領発揮する強かさ。ここにエロスは宿る。
そんな大人の仮面のつけ外しを、そばからぼっと眺めて、眺められて、お互い「演ってるねー」と笑い飛ばしたいものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?