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橋を架ける仕事についての往復書簡#04

長野からふたたび瀧内です。

いやーいきなり暑いですね。例年より長い梅雨が終わったと思ったら、いきなり太陽が本気を出してきたような感じ、ようやく長野の短い夏のスタート、、、通常だと、このお盆休みを過ぎれば、時折残暑はあれど、夕方になると涼しくなるはず、、、と信じたいところですが、きっと異常気象、そんなことはないんでしょうね。
天候といえば、長野でもそこかしこで豪雨災害はあって、このコロナ禍だけではなく、災害にもまちのあり方が問われている、その地域のメリットもデメリットも分かって住み、その場所なりのコミュニティのあり方がある、そのなかで整理整頓するためのファシリテーションの力が求められる場面は多く生まれていくんだろうな、と感じています。

さて、お題の「橋を架ける仕事」の仕事化の話。前回もお話したように、うっかり(笑)デザイナーとして独立し、そのなかディレクションと言われる部分の仕事が大切なことを感じて、注力して仕事をしてきました。それが仕事化していたか?と言われると最初はもちろんそうではなくって、デザイン費の上に、限りなく薄く「ディレクション費」として計上していただけで、それが仕事化するような金額になっていたかというとそうではありませんでした。
実際、金額と作業量は見合わず、悩んでいた時期にstudio-Lの代表、山崎さんにとある講演会で出会います。そこで「どう料金設定をしているか」というなんとも不躾な質問をして(笑)、国交省での技師に対する「単価(日当)計算」について教えてもらったのでした。それを参考に、あるエリアの活用に対して自主プレゼンをし、そのプロジェクトに関わる際に、1日いくらで、月何日働くので、という半分雇われるような働き方を提案、半年ほどプロジェクトに関わる機会を得ます。これが僕の「橋を架ける仕事」について、ちゃんと仕事化した最初だったと思います。

それからいろいろ仕事化については模索していますが、補助金獲得や企業などとの予算化からお付き合いする事が多く、プロジェクト遂行のために、総合的にディレクションをするとして、ディレクション料を一式いくらのような形で計上し、クライアントは専門職を雇い続けることと勘案しながら、僕のような人がプロジェクト単位で入ることの有効性を見出してもらって、仕事として関わる、そんな事が多いように思います。
それと、確か、僕自身はなんとなくそういうことができる人認知がされてきているのですが、それの「きっかけをどうつくるのか」が難しいという話があったと思いますが、他の企画のゲストが言っていた話で、仕事を受けていくためには「何をしてくれる人なのか」がわかりやすい形で「自分の旗を立てること」が大切だという話がありました。仮に持ち出しだったとしても、代表的な仕事や自主企画など雑誌などに掲載されるような実績をつくる、それをつくることで社会から「そういう人認知」がされ始める、という話。僕の最初の仕事もその仕事になっていたようにも思います。
と当時に、ちょっと助けてくれそうな人だと感じてもらって相談を受けたときに、明確な回答を即座に出せるという瞬発力が必要な気がしています。すでに試行錯誤されていて、困っている状況で相談を受けているわけで、それを理解した上での「道標」みたいなものが見えると、仕事化に対しての種が植えられた状態になるんだな、と最近思っていますし、コロナ禍のいま、かなり多くのご相談をいただいていますが、その種からの仕事ばかりです。

次の洪さんへの質問、、、というのが案外一番むずかしいなと思っていたりするのですが(笑)同じ質問をしたいと思います。「橋を架ける仕事」を仕事化するきっかけと今。たぶん、やり方はたくさんある気がするし、ケーススタディのようにたくさん知ることで、読み手にとって自分にあった方法を見つけるきっかけになるような気がしています。

瀧内 貫

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