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ブリッジのコンベンションに名前がついている有名ブリッジプレイヤー3選

コントラクトブリッジでは、ゲームの始める際に自分たちのペアが「この切り札で何勝できます」と宣言し合う「オークション」を行います。勝利数を競りで決め、その後のプレイでそれを達成できるかによって最終的な勝ち負けが決まります。

オークションでは、切り札のマーク(スート)と勝ち数を組み合わせて競り(ビッド)をします。例えば「1♣︎(ワンクラブ)」と言えば「クラブのカードを切り札にして1勝ち越しします」の意になります。
(ブリッジではペア戦で13回勝負をするので、勝ち越しするには最低7勝が必要です。なので、7勝が最低ランクの「1」となります。「6+勝ち越し数1」の「1」と考えても良いでしょう。)

なので、あるプレイヤーが「1♣︎(ワンクラブ)」とビッドした場合、コールした人は自分のペアに対して「クラブのカードをたくさん持っているから、クラブを切り札にすれば自分たちが有利になって7勝できるよ」とメッセージを伝えることになります。

しかし、コントラクトブリッジが競技として行われる中で、ペア同士が自分の手札の強さをより具体的に伝えられるよう、様々なオークションのやり方が開発されていきました。競技ブリッジでは、あるビッドをしたとしても「このスートで何勝ち越しします」というメッセージ通りにプレイするつもりはなく、別の意味のメッセージを伝えるためにわざとそのビッドをする、という取り決めをすることがあります。それらは「コンベンション」と呼ばれ、本来の意味とは異なるメッセージを込めたビッドは「アーティフィシャル」と呼ばれます。(それに対し、本来の意味通りのビッドは「ナチュラル」といいます。)

このようなコンベンションを用いてオークションをすることは今では一般的であり、ブリッジ教本にも定番のコンベンションはその使い方が解説されています。しかし、コンベンションはコントラクトブリッジが誕生した時から決められていたのではなく、ブリッジプレイヤーたちの間で考え出されたり、自然に広まったりしたものが多いようです。そこで今回は、ブリッジ初心者が習う有名なコンベンションにその名前がついている3人のプレイヤーをご紹介したいと思います。
(執筆に当たってはアメリカのブリッジ競技団体ACBLのサイト内「Hall of Fame」のメンバー紹介のページや英語版Wikipediaを参照しています。また、それ以外の参照サイトは各プレイヤーごとの項の最後にリンクしています。)

サム・ステイマン Sam Stayman

「ステイマンコンベンション」はとても有名なコンベンションのひとつです。パートナーが最初のコールで1NT(切り札なし・No Trumpで1勝ち越し)をビットした時、「2♣︎」と応えることで、パートナーにハートとスペードの手札が4枚以上あるかどうかを尋ねる取り決めです。

このコンベンションはサム・ステイマン(1909–1993)というアメリカのブリッジプレイヤーの名前に由来します。元々はステイマンのパートナーであったジョージ・ルピー(1915–1999)が考案したコンベンションだったそうですが、1945年にステイマンがブリッジ雑誌『The Bridge World』でこのコンベンションについて記事を執筆したことから、ステイマンの名前と共にこのコンベンションが広まったそうです。

ステイマンはブリッジプレイヤーとしての腕前も折り紙つきで、生涯にわたってさまざまなタイトルを獲得したほか、ACBLやブリッジ団体での活動にも取り組んでいたそうです。

(その他の参照したサイト↓)


イースリー・ブラックウッド Easley Blackwood

「ブラックウッド」も有名なコンベンションです。これは切り札を使ってスラム(6勝ち越し、もしくは7勝ち越し/全勝)を目指す時、4NTをビッドしてパートナーのA(エース)の枚数を尋ねるものです。

これはアメリカのブリッジプレイヤーであるイースリー・ブラックウッド(1903–1992)によって考案されました。ブラックウッドもステイマン同様、ブリッジ雑誌『The Bridge World』にこのアイデアを投稿したのですが、そのアイデアは認められませんでした。しかし、このコンベンションはブリッジプレイヤーの間でどんどん広まっていき、1949年には『The Bridge World』の編集長であるエリー・カルバートソンがこのコンベンションを事実上認める発言をするまでになりました。

ブラックウッドはこのコンベンションを開発したほか、ACBLのマネージャーなどを務めたり、多くの著作を執筆するなどしてブリッジ界に多大な貢献をしました。

(その他の参照したサイトとゴーレンの番組に出演したブラックウッドの動画↓)


オズワルド・ジャコビー Oswald Jacoby

「ジャコビートランスファー」などのコンベンションを開発したのはオズワルド・ジャコビー(1902–1984)です。「ジャコビートランスファー」はパートナーが最初のコールで1NTをビッドした時、「2♦︎」をビッドすることで「私はハートを5枚持っています」、「2❤︎」をビッドすることで「私はスペードを5枚持っています」というメッセージを伝えるコンベンションです。

ジャコビーは1930年代初頭に行われたエリー・カルバートソンとシドニー・レンツの有名な試合でレンツのパートナーを務めたことで有名になり、実績を積み上げました。そして「ジャコビートランスファー」もまた、1956年にブリッジ雑誌『The Bridge World』で記事が公開されたことで広まりました。その後もジャコビーはプレイヤーとして精力的に活動したほか、ブリッジのコラムニストやその他のテーブルゲーム、数学などの本の著者としても活躍しました。

(その他の参照したサイト↓)


というわけで、コンベンションに名前がついているブリッジプレイヤーを3人ご紹介しました。「ブリッジはカタカナ語ばかりで習うのが辛い」という方も、コンベンションを作った人たちのことを知れば、名前を覚えやすくなるかも知れません。この3人のさらに細かいエピソードや、他の有名なブリッジプレイヤーにも関心のある方はACBLの「Hall of Fame」のメンバー紹介のページをご覧になってみてくださいーではー。

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