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長野県 小渋橋~国登録有形文化財のコンクリート橋を拝見(長野県大鹿村)

 半の沢橋~四徳大橋をご紹介しましたが、長野県道59号のその先には大鹿村があります。大鹿村は映画「大鹿村騒動記」の舞台となった村であり、また山間の美しい村として知られています。

 小渋橋は村役場や道の駅に近い小渋川に架かる橋で、国登録有形文化財になっています。鉄筋コンクリート造の3連ローゼアーチ橋です。文化財のデータベースには次のように解説されています。登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とのことで、確かに今の構造と比べても歴史の長さを感じる姿です。そして昭和31年の竣工以来、この場所の交通を支えてきた地元になじんだ橋のようです。

小渋橋より塩見岳を望む

大鹿村の中心部を流れる小渋川に架かる下路式鉄筋コンクリート造三連アーチ橋。橋長106m幅員5.5m、曲げ剛性を有するアーチ材と桁を垂直材で結ぶいわゆるローゼ桁橋で県内に多い同形式の橋梁の中で技術と景観の両面から高い完成度をもつ

国指定文化財等データベースより

 大鹿村は、昭和36年の台風では大西山が崩れるなど、大きな被害を受けたとのこと。写真の右奥の崩れた場所が大西山の山腹です。WEBで検索すると、小渋橋は南アルプスの塩見岳を借景に撮影された写真で紹介されることが多いです。しかし、個人的にはインフラの恩恵や防災を考えさせられるこのアングルが心に残っています。

小渋橋と大西山
左岸側より

 今は新しい小渋橋が隣に架かっていて、国道152号はそちらに移っています。
 ローゼの力強さがありつつも、それでいてスレンダーな部材構成なので圧迫感はありません。残念なことに劣化は進んできており、現在は2トンの規制になっていますので、乗用車クラスまでが走行可能となっています。

親柱 昭和31年3月竣工

 川は割合と急流なので、河川敷には入らず、中間支点の支承は護岸あたりから望遠レンズにて拝見。
 古いコンクリート橋の支承は詳しくないのですが、当時の鋼製支承がそのまま使われている状態です。塗装仕様だと思いますが、あまり腐食は進んでいないように感じます。台座のモルタルの調整分も少ない感じですね。どこで高さ調整したのでしょうか?
 古い橋を拝見すると、ローラー支承は文字通りローラーを使っているので、機能がわかりやすいです。

中間橋脚の支承
中間橋脚のローラー支承

 せっかくの登録文化財なのに、マニアックな箇所を紹介したら大鹿村の方にはお叱りを受けそうですが、水道管かな?添架の支持金具の吊り下げ方法が橋体への負担を減らすのに合理的だと感じました。支持金具のボルト配置からそれなりの山形鋼(アングル材 L90x90とかL100x100とか)に載せることが多いです。形鋼を選んで応力を計算しても全然余裕というパターンが多いのですが、こちらはコンクリートにあけた穴に丸鋼を通して、先端をフック加工。吊り下げ金具は丸鋼を写真のようにクロスさせる形状で吊り下げる方法です。たぶん、十分なんですよ、これで。そして、橋へのダメージを抑えた好適な方法だと思います。ホールインアンカーを打ち込むよりも橋体への負担が少なく・・・・(以下、省略・でも愛を感じる)

水道管?の添架

 床版に視線を移すと鋼板接着による補強もされており、ここもまた必殺トーカイスパイラルさん(推定)の排水管に改修されています。

床版の補強と排水管の改修

 橋を残していくために、必要な部分は補強されたり、無理のない工法で労られたりと、これも愛?かなと、ちょっと微笑ましく感じました。
 さて、道路側に戻りもう一度アーチ部を拝見すると、やはり歴史的な風格を感じます。
 橋の上から見る水面は、少し青白くて涼しさを感じる色合いです。新緑の時期に歩いて渡った時は、少し照りつける陽射しと川からの涼しい風、そして塩見岳と小渋川の風景が重なり、しばらく佇んでいました。
 時の流れの中で劣化は仕方がないと思いつつも、長くこの姿のままで。

右岸側より

 小渋橋の近くには、大鹿村中央構造線博物館や大鹿村の民俗資料館「ろくべん館」がありますので、ご興味のある方はぜひ、どうぞ。

 川の防災情報のサイトで新小渋橋のリアルタイム情報が見られます。(リンク先で検索してください)

 大西公園のライブカメラでは、小渋川、新小渋橋、小渋橋、そして上流には塩見岳が見えます。

 大鹿村観光協会の小渋橋紹介のページ

道の駅歌舞伎の里大鹿でお食事
(食べ過ぎた)