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一行空けて書けば詩っぽくなる説


 一行空けブランクについて。これは、賛否両論あります。たんに一行空けブランクフォルムの方が見た目が良いという理由でそうする人もいるんですが、ネット詩を読み慣れた人はライトポエムとして読んでしまいます。ただ、これは何とも言えない微妙な感覚なんですよね。明らかに一行空け、あるいは数行空けが効果あるなーという作品もあります。その内容とフォルムの相関ですね。行空けにこだわったことが逆にあざとさとして出てしまうことも。
 
 行空けて書けばポエムっぽくなる言説は多数の言及があるわけですが、これ、ネット詩では定期的なトピック。なぜか詩を書き始めた頃には無意識に一行空けをやっていましたよね。これってなぜでしょう。

「神さまがもごもご言うてる感じがあるのが良き詩である」説をとなえる知り合いネット詩人がいた。ああ、なるほどな話で、たしかに、なんだかこの作品はいいよねええとなる作品ってもごもご感があるんですよね。しかも神様がってところが大事。なんだかもごもご、良いこというてんなーっていう。その空気感を表してみようかーってなる時に、一行空けブランクフォルムが浮かんでしまうんでしょうかね。どなたか教えてください。なぜ一行空けなんでしょうか。

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