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クソ賞レースを終わらせろ

以下チャットGPTが書いてくれたよ。

  • ネット詩の定期賞レースにおいて、参加者の才能を最大限に引き出すために、書くテーマやジャンルを幅広く設定することで、多様なアーティストが参加しやすくする。例えば、季節ごとの風景や人間関係に関する詩、社会問題に触れた詩など、様々なテーマを用意することで、参加者の創造力を引き出し、詩のレースがより魅力的なものになる。

  • ネット詩の定期賞レースにおける評価方法を見直し、参加者の作品の独創性や感情表現など、より主観的な要素を重視することで、より多くの異なったタイプの詩が評価されるようにする。これにより、従来の詩の枠にとらわれない新しい表現方法やアイデアが生まれ、より斬新な詩が誕生する可能性が高まる。

  • ネット詩の定期賞レースで、参加者の情報や作品の公開を積極的に行うことで、詩作活動をしている他の人との交流の機会を提供する。例えば、作品発表会やオンラインフォーラムなどを開催し、参加者同士が作品についてのフィードバックやアイデアの共有を行うことで、詩作技術の向上やネット詩コミュニティの発展を促進する。

  • ネット詩の定期賞レースにおいて、参加者が詩の制作だけでなく、音楽や映像など他のクリエイティブな要素を取り入れた作品を応募できるようにする。これにより、詩に新たな魅力や表現力を加えることができ、より多様な視覚・聴覚の体験を提供することができる。

  • ネット詩の定期賞レースにおける作品の応募方法を見直し、参加者が手軽に作品を投稿できる仕組みを整備する。例えば、専用のモバイルアプリやウェブサイトを提供し、誰でも簡単に作品を応募できるようにすることで、より多くの人が詩の世界に触れ、詩作活動の門戸を広げる。

はい、で以下、箸にも棒にも引っかからない参加者を代弁してみうらが云う。
昨夜スペースで(42分から55分参照)訴えた。なぜ詩が読めると云われる人らは良い作品にはコメントして、劣る作品にはコメントをしないのか?ということ。そこんとこをね、その詩が読めるという人らは「きれいごと」を私の問いに必ず返事をしてくる。「いや、あなたがいう下手な作品、下手じゃないよ?何言ってるの?あなたは本当に詩がわかってないねぇ」と。あーあ、だ。みうらは福まるさんの作品を一等賞だと思ってます。あなた方みたいにエセ平等で読んでいないから。なぜなら、福まるさんは詩人だから。詩人が書く詩は詩なんです。詩人を見つけられない「詩が読める人」は直ぐにテキスト論に走る。詩人を読めない。だからみうらが云う「下手クソ」をそのまんまにしか「読めない」。「みうら」を読めない。いいですか?これからの賞レースはテキストの優劣ではなくて詩人かどうかを見極めてください。詩人が書けばそれは詩なんです。出来ないなら、チャットGPTを優勝させておけ。

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