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夏と秋の通い路、炎天散歩のこと

台風一過。静岡はさほど影響を受けなかったが、いっそう勢いをました暑さに灼かれている。それにしても暑い。

炎天の散歩は影を探すゲームだ。商店街にあるようなビニールのひさしよりも、街路樹が作る影の方が涼しい。郊外の歩道は山から伸びてきた葛の葉に半分侵食されている。草を避けながら歩く。草いきれに包まれた。

歩くときにいつも止められる信号では、建物の影に入る。同じ時間に歩いても、少しずつ影が伸びていることに気づく。7月ごろは太陽が高く、日陰は乏しかったはずだ。秋の気配は光の変化から来ていると思う。

夏と秋の通い路

 炎天や相語りゐる雲と雲

木下夕爾(きのしたゆうじ)

ふっと暗くなったかと思うと、巨大な入道雲が太陽を隠していた。少し風も出てくる。空の上では夏の雲と大陸から流れてくる秋の雲が行き交い、交代のタイミングを語らっているのかもしれない。

夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへ涼しく風や吹くらむ

古今和歌集、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

夏の高気圧と秋の移動性高気圧がぶつかる様子を、詩人たちが感覚として捉えていた点が面白い。

立秋を過ぎてもまだまだ暑い昨今のこと。夕方にときおり吹く涼しい風や、日一日と伸びていく影にアンテナを立てていなければ、「空の通い路」を想像することは難しい。

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