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久しぶりの投稿

この数か月すこしバタバタとしていて、4月からのあの自粛期間が夢だったかのような錯覚に陥るほど普通の生活を送っていた。


そしてその感覚は日常の有難さを感じると同時に、このままだとまた自分が自分じゃなくなっていくのではないかという不安も感じた。



先日テレビで、〝お前はどうしたいんだ。お前は何がしたくて何になりたくて、そのために今何ができてるんだ〟という問いに答えられなくて、その悔しさでここまで這い上がってこれた、とわたしの大好きな俳優が話していた。


それをみて、「今のわたしも、何も答えられない」と思った。


やるべきことに追われ日常をこなしているときは、その問いに対する答えが見つからなくても、がむしゃらに過ごしている自分にどこか安心している。


いま、わたしはやるべきことを与えられている。ということは、わたしは必要とされている。


これは錯覚であるのだと、あの俳優が言っていた問いを聞いたときに気づいた。もともとこのnoteは、その錯覚から解放されたあの自粛期間に感じた「結局わたしは何も得られていない、わたしは何なのだ。」という無力感を経てやってみようと思ったものだった。


やっぱりわたしはまたあの頃に戻っていた。何も持っていないのにうぬぼれていた。ここでもう一度、自分を見つめ直したい。



周りからの評価で自分の価値を見出そうとするのはやめたはずなのに、また最近そうなってしまいそうだった。


わたしがわたしを肯定しよう。


そのために、毎日ではなくとも、またnoteをはじめてみようと思う。





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わたしが楽しみにしていたクリエイターさんの記事が見れなくなっている。とても悲しい。またいつか会えるように、少しずつnoteに顔を出していきたいと思います。

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