論64.支えの誤解

○息の支え

一言でいうと、長く均等に吐けることを息の支えができているというのです。となると、それは少ない量でとなります。多量に長くは吐けないからです。さらに、少なく一定に長く吐けるのなら、急に多く強くも吐けるのでメリハリをつけられます。
支えとしては脇腹、背中の下の方を使います。
 インナーマッスル、全身の筋肉も骨も、発声と関わっています。そうした筋トレは、免疫を高め、身体を柔軟にもします。姿勢としては、「大きな籠(筒)を抱え込むように」と言われるのです。


○発声を伴う呼吸法☆

 呼吸について、吸気と呼気の練習でのイメージづくりは、トレーナーによって、さまざまです。
どういう方法でも、しぜん、リラックスして、しなやかに柔らかく自在に吐くのをコントロールすることを目指します。そのためには、瞬時に吸気できることが必要です。
このときは、発声が効率よく共鳴できないと、吐くコントロールもうまくできないのです。呼吸だけではなく発声と共にチェックすることです。


○呼吸トレのプロセス☆☆

そのプロセスでは、緊張や力むこと、支えとか保持とか、いろんなことを処理していく必要が生じます。ただし、あくまで、それがよいとか必要なのではなく、後でよくなることでのプロセスです。
一時的によくなくとも、必要悪といえることもあるし、一時的によくとも、それ以上何ともならないこともあります。そこを目的にしたり、安易にその機能を許容してはなりません。
大半の指導者は、その方法だけを与えているだけです。自分で気づいて、あるいは、運よくできた人もいますが、大半は、そのせいで間違って、それを目的としてしまう人ばかりです。プロセスの状態での「支え=緊張=硬直」として覚えてしまうのです。
そういう人には、一時、忘れることをアドバイスしています。心身を解放して、ゼロに戻すことが、もっとも大切なことです。


○指導ミスの悪循環

洗脳されたかのように、「支えとか緊張がよい発声の絶対条件と信じこんでいる」人は、聞く耳をもちません。そこに関しての同じようなアドバイスばかり聞くので、そこから出られなくなるのです。そういう人が指導するようになると、ミスリードしてしまうのは言うまでもありません。


○体感の切りかえ

 たとえば、砲丸投げで、今の身体では、5メートルしか飛ばないから「もっと重い球でトレーニングしなさい」と言われたとします。やってみて、その重量感を覚えたら、その感覚を常に求めてしまうようなことです。
鍛錬されていない心身での抵抗感覚を元にすると、正規の重さの砲丸は軽く感じるはずです。それを感じずに、重々しく投げてしまうようなことです。
これは、体で覚えるとか、フォームとは、違うのです。プロセスにおける仮の形、動きを保持してしまうのでは、何のために行うのか、わかりません。無理すると筋肉を壊しかねません。


○プロセスの感覚は捨てる

 プロセスで、器づくりのためのトレーニングが絶対視されてしまい、目的がそこになっているのは、過ちです。
本当は、それで力がついたら、脱力できて、理想のフォームで、しぜんに力が働くようになるのです。
この例でいうのなら、少なくとも、正規の砲丸は、より軽く楽に投げられるようになるはずです。なのに、プロセスでは必要でも、その後は不必要なイメージが邪魔するのです。


○身につける

 こういう例は、ヴォイトレでは、それがあたりまえなのかと思うほどに多いです。その呪縛から逃れるために「ヴォイトレや発声を忘れろ」と言うこともしばしばです。
しかし、トレーナーもその生徒も、そのやり方や基準こそが長年やってきたことだからと捨てられないのです。
真に身についたもので重要なものは、全て捨てたつもりでも失われないはずです。


○器の個人差

 こうしたトレーニングのプロセスの問題はくり返し、器ということばで説明してきました。器を大きくすると、これまで自分の外にあったものが入るようになるということの例えです。
 「支え」もこの例で説明できます。支えは、もっともわかりにくく誤解されているものの一つです。その理由を述べます。
器では個人差もあるし、どこまで大きくなるかも人それぞれです。誰もが潜在能力として開花させられるところまではいきます。しかし、目標のレベルというか、求めるものが個々でも違うし、そこにもかなりの無理が生じているため、その人が器をその人の限界までつくっても、さらに、内に取り込めない外に残るものもあります。そこに個人差があるのが普通だからです。


○声域の個人差

 声域で説明します。
体を使わなくても出せるという条件をAとして、その最高音の高さをaとします。以下、
体を使わないと出せない条件Bで高さb、
体を使っても出しにくい条件Cでc、
出せない条件Dでd、eとします。
それがトレーニングをすると、
条件Aは、aからa、bに広がります。以下、
条件B、bからc、
条件C、cからd、
条件D、eだけ
となっていくでしょう。
条件は、声域でなく、声量でもよいです。あるいは、「トレーニングをすると」が「調子のよいときは」でもよいでしょう。
ここで注目したいのは、体を使わなくては出せない(条件B)が、体を使わなくても出せる(条件C)になるのを、器が広がった=上達というのです。


○ハイC音へのプロセス

たとえば、オペラでは2オクターブ必要として、テノールの最高音C音は、最初は出せないdで、トレーニングと共にc、b、aとなるのが理想です。
支えでいうと、bは支え、aは支えなし、でもaの方が理想です。


○調子と支え

私は、不調でどうしようもないときには、体を意識して行うようにしています。好調のときは、体は忘れるものです。
とはいえ、現実には、自分の実力と関係なく定められた音高まで出さなくてはいけないオペラでは、高音域は、aでなくbでももっていくことで、そういう感覚にするしかないので、そういう教え方になるのです。つまり、ハイCで条件Aを満たした人なら、支えは感じないし、いらないのです。


○方法の革新

一流の人は、自分の過去の方法を否定して、新しい方法を取り入れていきます。なぜなら、ある方法でよくなっても、そこにとどまっていては進歩はないからです。
より自分を高めるつもりなら、常に新たな改革が必要だと知っているからです。それが、過去の自分を超えようという努力なのです。


○方法論

 方法は目的のためにありますから、目的が遂げられたら捨てたらよいのです。目的が遂げられないなら、何のために使っているのでしょう。
ある方法を肯定するためだけの説明を求めて、自分の理解に都合のよい理屈やトレーナーのことばを得るのは無駄なことです。
「この方法でよいと確信したときに、上達は止まる」のです。


○よくある限界

 ただ、日本のように、追いつくまでのまねまでしか達していないと、そのくらいで、まわりがよいと認められると、これが正しい方法となります。そこで、このメニュで絶対よくなるというトレーナー、指導者が多くなります。
そういうところでは、受講する人が迷うのもやむをえないので、こうしてアドバイスするのです。
迷えばよいのです。少なくとも、どれが正しい方法とか、どのメニュで絶対よくなるとか考えたり、そういうトレーナーを盲目的に信じて、同じところでのリピート、伸び悩みで生涯終わるよりは、ずっとよいと思うのです。
また、最初に精力的に集中して努力して、その後、それを持続できないケースが多いのです。すると、一所懸命に行っていたときの感覚がベースとなってしまい、固定されてしまうのです。上達するに従い、より変えていく努力がいるのです。でもまわりの評価が甘いと、もうできたように思ってしまうのです。


○支えの呪縛

 私がこれまで見てみたところ、今でも、軽々と投げられるボールなのに、支えと教えられて、全く飛ばせなくなっている人がどれだけ多いのでしょうか。人並みの声も出せないのに、補助のような技術や方法論、新しい感覚などいりません。心身をリラックスするだけで大きな声が出る人が、支えを意識して人並みの声も出せないと悩んでいるとしたら、それはおかしいでしょう。
支えは、今よりも器を大きくして限界を破るために使う補助です。今でも支えられて人は立ち、声を出しているのです。そうした今の支えを充分に使わずに、何を身につけようとしているのかと思うのです。


○期限のある場合

 やむなくそれを是とすることもあります。たとえば、 1、2年内で最大の成果を出したいケース、中高校生の合唱団などの指導です。
そこでは、それが許されるし、そういうステップをふむところに留まるのもやむをえないようにも思います。コンクールという一定の技術での賞を狙いたいなら、です。
期限内での最大効果を目的とするなら、素人なら、マニュアル漬けがもっとも早いし、コンクールでの基準も明確だからです。
しかし、そこでは、個性を問わないことが前提です。そこでだけなら、まだよいのですが、日本の芸能や音楽関係者にも、それが蔓延しているので、こうして述べているのです。日本での歌謡曲全盛期の芸能界のデビューも、そうした期限があったわけです。


○教えと個性

 ステップは、プロセスとなるから許されるので、そこに留まらず、そこを踏んで次に行くためのものです。5年、10年で続けていって、成長、上達していくならばよいのです。
しかし、教え方やマニュアルとして強固なほど、エスカレーターとして、そこから逃れられなくなります。個、つまり、あなたと反してくるのです。
もし、そういう集団や指導者の元にいるのなら、避けることは無理でも、分けることです。
基礎と応用が違うように、あなたと一般、あなたとその集団、あなたとその指導者も違うのです。違った上で応用し、合わせていくというスタンスをとることです。
 もちろん、欠けていることで一般レベル、平均点に追いつくには、一度、ある教え方や方法に浸かってみるのは、かまいません。2、3年から5年くらい試行錯誤してもよいと思うのです。多くの人の場合、それを必要とします。ただ、それは、前提条件であり、十分条件ではないということです。


○仰向け寝の呼吸

 初心者に、「床に仰向けで寝かせて腹式呼吸を教える」のは、よく行われています。お腹に本を載せて動きを自覚させるようなトレーナーもいます。
とりあえず、普通にリラックスして、お腹が上に出て動いたら、呼吸を目でみることができ、その動きも感じやすいでしょう。しかし、それは初心者への初歩的なマニュアルにすぎません。


○立っての呼吸

 普通は、立って演じます。立つと重力もあるし、腹直筋や腹膜筋は、寝転んだときより張るわけです。寝転んだ状態とは、すでに身体の状態が違うので、腹式呼吸も同じとはなりません。
床に寝転ぶのと違い、お腹は四方八方に広がりやすく、さほど前にも出ないでしょう。リラックスしていると、腰回りの横から後ろも広がるでしょう。肋骨の下の方も広がるでしょう。当然、状況が違うのですが、ハイレベルになると、どの状況も身体の能力でカバーできるということです。


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