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セレモニーとは?


精神の構造

私にとってセレモニーとはスピリットとしての自分で生きるのを邪魔している魂の重い部分や、トゲトゲとした部分、頑なになっている鎧のようなものを取り外していくために必要なことをする時間です。

人間には純粋なスピリット(精)というものが中心にあって、その周りにまとわりつくようにして、体験した出来事や、体験した感情、そこから生まれた概念、その概念から生まれた感情、その概念から生まれた感情から生まれた出来事、言って見れば「過去の自分の作り出した概念によって生まれた膨大な記憶」というものが、まとわりついています。それは人によってはモヤのようであったり、鎧のようであったり、自分の内側に刺さるようについていて、自分自身を傷つけていたり、微細な領域の中でさまざまな形に現れていて、いずれにせよ、本来の純粋なるスピリット(精)で生きることの妨げになっています。


私の性質


私は子どもの頃から、この人間のスピリット見れる性質がありました。例えば小学生の時、変質者に襲われたときにも、「やめて〜!変態!!」とはなれず、「このおじさんは本当はすごく力に溢れた存在!家族の中で蔑ろのされたせいで女性の愛に飢えている。だから、私の体を触ったんだな!きっとこのおじさんも自分の純粋な目的に気づくときがくる!!」と希望をもってしまうのです。男性とお付き合いするときにも、その人のスピリットの完成体が見えてしまうから、その人が完全にクリアに自分の魂を生きているところを見て、そこに辿り着くためのお手伝いをしようとしてしまうところがあります。

完全体が見えるということは、その周りにあるモヤモヤやブロックも見えるということで、どの概念を浄化したらその人の純化が進むかどの価値観を昇華したらその人がスピリットを生きることに繋がるか、そんなことが見えてしまうのです。最近はお休みしていますが、個人セッションなどをやっていた時期もありました。(一人一人は時間がかかりすぎてせっかちな私には合わなかったので、グループでやるようになったのです。)


セレモニーの時に私に起こること

セレモニーの時、私はほとんど神がかりの状態にあります。私を明け渡し、ほとんど私ではない状態です。それをポカンと見ている自分がいる状態です。その状態で参加者に近づくと、その人の中の嘆きや、その人にまとわりついていて今、昇華されたがっている感情が見え、その響きに私のエネルギーが共振します。そして、その人に変わって「その感情を私の肉体を通して体現させる」ということをします。その人の内側の叫びを叫び、泣きます。すると、それを通して、その人の肉体は自分の微細な領域が欲していることに気がついて泣き始めたり、怒り始めたりするのです。官能を体験したがる人もいるし、自分の美しさを認めたがる人もいるし、私に起こることはさまざまです。ただ、私がやろうとして起こることは一つもありません。


脳波と共振の力

ダンスメディスンはそれが起こりやすい状態、参加者の脳波がシータ波になっていくための導入として行なっています。ダンスメディスンを通して人々の意識は内側に向き始め、思考が停止した状態に近づいていきます。中には完全に瞑想状態に入れる方もいます。そうなると、私が潜在意識に繋がりやすい状態になります。カカオというメディスンを使うと、それが難しい方でもその状態に入りやすくなり、私もその状態に入りやすくなります。(それでもその状態に入れない方も稀にいます。)

日頃から瞑想やダンスなど意識のトレーニングなどをしていて、深い瞑想状態に入れる参加者が多いと、私の意識もかなり深いところまで行くことができ、神がかりは最高潮に達します。未来を指し示すような歌が降りてきて、私が歌い出すこともあれば、それが大合唱になることもあります。

起こることはさまざまですが、ダンスメディスンを通してその意識状態を起こし、私自身の共振の力を使って、その人の潜在意識を浮かび上がらせ昇華させる。それが私の行なっているカカオセレモニーです。



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