Lata について

はじめまして。Lataです。初めての方に向けてちょっと自己紹介をさせてください。まずはざっとアーティストとしての活動履歴を。19歳の頃からフリーランスとして作品制作と発表を始め、ダンサー兼、振付家として、小さな劇場やギャラリー、芸術祭の一部で発表させていただく、ということをしてきました。

*出演・作品*
2010 瀬戸内国際芸術祭出演
2013 NO BORDER PROJECT(タイ、中国)ゲスト参加。
2014 ジェジュ国際実験芸術祭出演(韓国)
2014 『contact×Contact』演出・出演 with vangelis legakis
                 https://youtu.be/KQ1nfXp5Jq0?si=o8E6Xe-0EegTINht
2015 水と土の芸術祭『Green factory』
                 https://youtu.be/TNqK7xWT20o?si=7CHkqAmXvr31gfbi
2018 森の音ピクニック『いのちのしま』
2019 『Sound journey 音の旅』音楽:Aki-ra Sunrise
                https://youtu.be/kAJWrf9orKk?si=re4ikoAeUVCrqyRJ
                https://youtu.be/ii9ZwGxHe1g?si=-tN_OanqmyAHKXhY

次に身体表現、運動?の指導者としての学びの略歴を。はじめは生活のために渋々、頼まれて「教える」ということをしてきましたが、「どのクラスも口コミで満員になってしまう」という事態や、「車で2時間かけてわざわざ学びにきてくれる人」が現れるようになり、どうやら自分には教える才能があるようだぞ、と気づき始めました。周りからの期待も高まってきて、教えの仕事で人生が落ち着きそうになってしまい、「このままではいかん、成長が止まってしまう!」と、日本を飛び出し、「踊る」ということ一本で生きていくことにチャレンジしたのが28歳の頃でした。

*修了*
2004年 日本女子体育大学舞踊学専攻卒業。
2005年 ヨガ&アーユルヴェーダコース終了(インド)
2006年 ネヴァタ州立大学公認ピラティスインストラクター資格取得
2007年 レイキヒーリングレベル1,2終了(インド)
2014年 シータヒーリング基礎コース終了(インド)
2014年 コミュニティダンスファシリテーター資格取得
2015年 アーユルヴェーダ&ヨーガ二ドラセラピスト資格取得


真面目一徹な私は28歳でドイツのミュンヘンの路上に飛び出し、パフォーマンスを始めました。10月の寒い時期に、石畳の上、裸足で踊る生活。お客さんはちょっとしたことで集まったり、去っていったりする。いろんな人がやってきて、家を貸してくれたり、パフォーマンスを繋いでくれたりしました。

29歳 トルコのイスタンブールの路上パフォーマンス

自分の無力さも知り、アートの世界では今までしてこなかった、「観客のために踊る」ということをする生活。アートの現場では自分の世界を表現すればよかったのですが、路上パフォーマンスでは少し違います。踊りを通してコミュニケーションを取りながら、「場を作っていく」という初めての経験を積み始めたのです。どちらかというと自分の世界を深めるタイプだったので、これはとても苦手な分野でした。

30歳くらい。アフリカ・ジンバブエの村で居候生活。

そんなこんなで、ドイツ、トルコ、エジプト、エチオピア、ジンバブエ、インドと、各土地のダンスや音楽に触れながら、1〜3ヶ月ごとに移動していきました。インドではカタック舞踊の先生の家に住み込みで修行させていただき、夜な夜なダンスの歴史や哲学について学びながら1日に何時間か稽古をつけてもらっていました。そこで3.11が起こり、インドで修行していることに違和感を感じ、オーストラリアで路上パフォーマンスを再開し、日本にお金を送る活動に参加し始めました。

「ダンスの修行するぞ!!」という旅でしたが、西洋人のパートナーができたところで、西洋人のオルタナティブなコミュニティーを覗かせてもらうことが増え、生活そのものに興味を持つようになりました。添加物を取らないとか、菌をとるとか、オーガニック農園にステイするとか、ヴィーガンとか、そういう調理法とか、新月にみんなでお祈りをするとか、南米の10代の活動家と過ごしてみたり、とか。ダンスだけをやっていた頃は、食生活にも無頓着だったのですが。そういうカルチャーの中にいることが気持ちよくなってきて、暮らすこと、生きること自体が好きになってきていました。「家を持って畑と漬け物をして暮らしたい」と思い始めたのもこの頃です。

その後も旅は続き、7年目くらいに入った時にインドで肝炎になりました。血を吐きながら、山を登るという、過酷な状況の中、入院まで発展してしまい強制的に日本に帰国することになりました。ビザが切れるギリギリまで、「肝炎で体が動かなくてもできること」として出会ったのがヒーリングでした。何か常に勉強や練習していないと気が済まない性格だったのですよね。シータヒーリングというエネルギーワークを、インドのダラムサラという山の上で練習する日々でした。

母の実家のある新潟での暮らしが始まりました。海外ではやれなかったやりたいことを全部やり始めました。劇場作り、カフェ作り、火、水、土、金を使ったダンスのライブ、自家製の劇場で100人規模の舞台。大きな公園での100人の出演者での舞台。その時、ちょうど取り組んでいたシータヒーリングでセルフヒーリングをしながら、ただただ具現化の練習をしていたような数年でした。


田舎に貯金で買える値段で家を買い、毎月稼いだお金を注ぎ込んで改装し、素晴らしい自宅ダンススタジオと、オーガニックショップができました。畑も開墾して、宿泊部屋もできて、気づけば結婚して、子供も生まれ、全て順調でした。田舎での暮らしは5年ほどでした。

40歳になる手前でスタジオが全焼しました。火災で全てを失いました。職場であるスタジオ、コミュニティー、家、衣装、楽器が一瞬でなくなりました。パソコンとお財布だけを持って逃げました。

ちょっと怪しい話になるのですが、これも今の仕事につながっていると思うので残しておきますね。実は家が燃え上がっているのを眺めている時、「メタトロン」という存在が声をかけてくるようになりました。声というか、ずっと絵を見せられていました。二つの三角形が上と下から交わって融合していく様子をずっと見せられていました。ヒーリングを受け取っているような感じだったかもしれません。そういう存在に後押しされながら、私は休まずに働き続けました。家が燃えた後もすぐにオンラインのクラスを再開し、たくさんの人と連絡をとり、瓦礫の撤去の手伝いをしてもらう手筈を整え、皆の食事を作り、瓦礫を踏んづけて足から血を流しながら、鼻の穴が真っ黒になりながら、瓦礫の中を駆け巡りました。熱中症で倒れたり、ふらふらになりながら、ほとんど興奮状態で眠れないまま、燃えた家の片付けに明け暮れました。

見えない力に動かされるように、不可能を可能にし続けるような時間をたくさん過ごしました。実は火災の後から2年ほど、動けなくなりました。腕が胸から上に上がらなくなったのです。ハートが空っぽになったようでした。それでも、さまざまな声が聞こえるようになっていました。「愛とはなんなのか」そんなイメージが降りてき続けていました。夫の強い希望で沖縄に移住することになりました。私は新潟でやり残したことがあったので、抵抗しましたが、疲れ果てていたので自分の選択権を手放し、もう全てを夫に任せてしまいました。


「セレモニカ」という言葉が降りてきたのもこの頃です。「仲間を集めてセレモニカを開きなさい」そういうビジョンも降りてきていました。セレモニカがなんなのかもわからないまま、「とにかく新月と満月に何かお祝いの踊りのようなものをしなければいけない」という焦っていました。なんだか普通の肉体の状態ではなかったので、何かすると倒れる、何かすると熱が出る、何かすると吐く、自分の魂が本当に望んでいないことをやろうとするとすぐに症状が出るので、新しく仕事をするのもとても難しい時期が続きました。

2022年1/23 声に導かれるようにダーキニーブレスという呼吸を使った子宮のセレモニーを始めました。これはかなりハードコアというか、深い世界なもので、自分にそんなことができるなんて思ってもいませんでした。けれど、直感というのはすごいもので、やったらできたのですね。人の前に立つとその人のハイヤーセルフの声、子宮の声が私を通して出てくる。その人も思いもよらないようなことなが私の身体を通して出てくるのです。普通だったら意識がぶっ飛ぶくらいのことをやっているのですが、ダンスの訓練と瞑想の訓練をしてきて、強さや安定感があるおかげで何があっても冷静にどっしりしていられるのです。なんでやるのかもわからずに始めたセレモニーでしたが、それは結果的に魂の使命と繋がるためのセレモニーであることがわかってきました。このワークを上手に受け取れた人は皆、自分の本来の性質を発揮して、自分の天命を生きるというところに大きく人生がステップアップしていきました。

それを行うことが私のカルマとして必要だったのでしょうね。ダーキニーブレスをやるようになってから、私自身の命もどんどんとその色を濃くしていきました。セレモニーをやるたびに、本来の私の強さや凄みのようなものがむき出しに現れてきました。見えるものもどんどん明確になってきました。聞こえる声もどんどんとクリアにタイムラグなく見れるようになりました。


嘘偽りのない、演出のない時間。それが私にとってのセレモニーです。その人の丸裸、人間の丸裸、それが現れるから、その先に必要なエネルギー的な変容が起こる。完全な空間を作り出せば、それぞれに必要なことが勝手に起こる。セレモニーは究極の真実の時間なのです。


そこからあれやこれやいろんなことがあって、尊敬するシャーマンの青年からグアテマラのセレモニアルカカオをいただき、カカオセレモニーを始めるようになりました。それがセレモニカだと、その時にわかりました。カカオに出会った時、涙が止まりませんでした。飲む前から、愛が溢れて、懐かしさが溢れて涙が溢れてきました。

カカオをいただいて、ダンスのワークをするように、とシャーマンの男の子tは教えてくれました。カカオとダンスは相性がいいからね、と。よく考えてみると、それまで私は拠点を再建するためにお金を貯めようと、仕事一色だったので、ヨガばかりやっていて、 ダンスとは離れてしまっていたのですね。
カカオは私にダンスを戻してくれました。
そこから、スピリットのためのダンスをやるようになっていって、世界中を旅していた頃に学んださまざまなことを詰め込んで「ダンスメディスン」という名前でダンスワークをシェアするようになったのです。

かなり端折りましたが、これがざっくりの私の紹介です。
ダンスアーティストとして活動し、そのために修練していたところから、霊的な力が目覚め、セレモニーをするようになった、というのが私の人生の大きなストーリーなのかなと感じています。
これからは、セレモニーを通して、霊的な次元でのお役目も果たしつつ、私個人がやりたいこと、ダンスをお通した表現の活動にも力を入れていきたい、と思っています。あとはダンスの輪を広げていくこともやっていきます。

特徴・特技
・その人の魂の力を引き出す
・魂の本質が見える
・その人のハイヤーセルフの声が聞こえる
・ダンスワークを通して、潜在意識と繋がる
・身体の動きを通して、その人の潜在的ブロックを外す
・空間感覚、時間感覚が独特
・甘いものよりしょっぱいものが好き
・修練でやっと開花した能力なので、地に足がついている
・現実的なところもちゃんとやる。


あとは去年、腰まであった髪を坊主にして、最近はそのまんま伸びかけでしたが、先日京都の美容院に行き、おしゃれにしました。だいぶイメチェンされていますので、イメージ図と色々違う点お許しください。自撮りはしないのがポリシーなので、イメチェン後の写真はありません!!

以上、43歳男児の母。シングルマザー。早足の自己紹介でした。
セレモニーでお会いできると嬉しいです✴︎


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