女神ドラムと呼ばれる太古の楽器のこと
フレームドラムと女神信仰
フレームドラムとは木枠に皮が貼ってあるドラムの総称で分類状の名称であり、学名のようなもの。ほとんどの国の先住民族の文化にはそれぞれにフレームドラムがあり、それぞれに違った名前で呼ばれている。この先住民族たちの使ってきた木枠に皮を張ったドラム=分類状フレームドラムと呼ばれるものは、世界が現代の男性中心の社会になる以前、母系社会だった頃の時代に使われていたそう。つまり、私たちが生命そのものを信仰していた女神信仰の時代に、祭祀で使われてきたのがフレームドラムなのだそう。
フレームドラムの響きは静かで豊かな倍音を伴う。それは極めて女性的で、内側に内側にと入っていく音。外側にいる誰かに「聞かせる」「盛り上げる」ための楽器ではなく、どちらかというとテンションを下げて、静かに内側の声を聞くための楽器。
フレームドラムに出会った時、触って気持ちのいい音を出しているうちに意識が内側に向いている、気がついたら歌まで歌っている、という意識の枠を超えていく体験をした。
それは私の性質がこの静かなドラムに合っていたということもあるだろうけれど、この楽器の性質が内側に内側に意識を向けるものだということにもあると思う。
ひょっとしたらフレームドラムは、人間が生まれる前、子宮の中にいた意識に近付く楽器なのかもしれない。概念や意識の枠を超えていくための楽器であるのかもしれない。
物質世界と意識の世界、その狭間の楽器。木の輪に張られた皮は、かつて生命として動き回っていた。それが命を絶たれ、動かなくなった。肉は食べられ、誰かの命の糧となった。皮は残り、丁寧になめされ、輪になった木と一つに結ばれてその身体に再び命を宿した。輪の中で、皮は叩かれ揺れる。その振動が音となる。それを鳴らすものに命の循環を知らしめる。響きだけで、命の循環の輪の形を教える。動物はもう声帯を震わせて鳴くことはできなくなったが、全体を震わせて、命の響きを地球に起こす。
丸い輪に貼られた皮。シンプルでとても軽い構造。これは子宮のようでもあり、夜空に浮かぶ月のようでもある。そして、何よりこの楽器は私たちが子宮、命を生み出すもの、つまり、女神を信仰していた時代に使われていた楽器。権力を持った王ではなく、命を生み出す存在、命そのもの、女神、すなわち母なる地球を信仰していた時代に使われていたもの。だからこのドラムを「女神のドラム」と呼ぶ人もいる。
このドラムを長年に渡り探究し、女神ドラムセレモニーを行っているKakeru 君とともに、フレームドラムを用いたセレモニーを何度か開いた。
背中に当てて鳴らすだけで、涙を流す人がいた。身悶えて、苦しみを放つ人がいた。「お母さん!」と泣き叫ぶ男性もいた。私はこのシンプルな効果に驚いた。それからフレームドラムの音を寝た状態で受け取ってもらい、サウンドバス(音浴瞑想)に入ってもらいながら、私のエネルギーワークを行うようにしたところ、タントラのセッションのようにクンダリーニが動き、身悶え、自然と身体が必要な姿勢をとり、泣き出したり、喘ぎ声を上げ、そしてエネルギーの昇華と排出が起こるようになった。
「響き」は非物質と物質をつなぐもの。アストラルボディとプラナボディを繋ぐもの。フィジカルボディとプラナボディを繋ぐもの。
感情を体験する肉体。感情を宿す肉体。言葉になる前の想いと、響きになる前の命。枠を外し、それら全てを繋いでいく、響きの力。
「指」という身体の中で一番繊細な部位を接触させることで鳴らす楽器。マレットを使い鳴らすシャーマンドラムとの違いや扱う領域の違いも実は大きく、紹介したいのでそれについてはまた文章にしたいと思う。
今回はフレームドラムと私の出会い、そしてフレームドラムを使ったセレモニーやサウンドバスの中で起こること、フレームドラムの扱う領域について。この繊細でパワフルな楽器が、私たちの魂の領域を拡大し、私たちが魂を生きる、その繋ぎ手として必要なことを粛々とやっていきたいと思う。
新しい時代を生きる、生まれ変わりのサポートとして、必要な方に届いていきますように。
1/22のサウンドバスではたっぷりドラムの音を浴びていただけます。インドの方に「見ているだけで瞑想状態に入ることができる」「感情を超えた涙が溢れる浄化の力がある」と言われた私のダンスも合わせて、皆さんの意識に働きかけるライブとサウンドバスをします。会場もとても素敵な場所なので、思い切ってぜひいらしてください。22日の前夜祭として、共にチューニングし、リラックスした時間を過ごし、魂で感じあい、語り合えたら嬉しいです。半分寝ながら繋がりましょう。
特に、これから踊っていきたい方!!ぜひライブにお越しください。
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