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なき王女のためのパヴァーヌ 2/2

続き

例えば良家の出身で高身長で、メガバンのプロジェクトファイナンス部門や、大手シンクタンクに勤めていてるイケメンがお相手なら、惜しげなく税金を払えるのだろうか。
例えばあんまりルックスが良くなかったり、生まれつき何かしら障害を持っていたり、学がなかったら、税金を払う対象として駄目なのだろうか。
仮にそうだとしたら、それは差別的、選別的思想では無いだろうか。

一国の皇族が何処かに嫁ぐとして、二人が愛し合っていて、お互い相手のことを誰より尊重している、それが何よりも大切で尊いことであって、
そういう関係を支援することにこそお金が使われるべきでは無いだろうか。
違いますか?
仮に世間の反発に屈して二人が別れ、眞子さんが二度と本当に愛する相手に出会えなかったら、反対した人達はどう責任を取るのだろうか。

うん、何となく良い反論なような気がする、はやり愛が何より尊いという理論だ。多分こんな感じでオッケーなはずだ。
それでは最後の一派に行ってみよう。

③女性宮家ができることにより、将来小室圭さんと眞子さんの間の子供が天皇になることがあり得る  皇族制度そのものの問題派

段々話が大きくなってきた。眞子さんは基本的に民間に行くとされているが、女性宮家(女性を当主とする宮家、という意味らしい 今は存在しないが認められている)の復活に向けた動きがあり、眞子さんはその対象になる、
小室さんも皇族になる可能性があり、将来的に二人の子供が天皇陛下になる可能性すらある、
これはもう二人だけの問題では無い、小室さんは皇室には相応しくない、という意見だ。
これに対する反論は骨が折れそうだ。私はこうした皇室議論はあまりよく分からないため、ピントがズレるかも知れない。

しかし、ちょっと待ってみてほしい。かなり、沢山待ってみてほしい。
こうした、○○さんは皇室に相応しくない、という考え方が、実は一番矛盾してるのではないか?
今皇族である方々は、"相応しいから”皇族になったのだろうか?多くの国民に、この人は皇族に相応しい、と認められた人達なのだろうか?
いや違う、"そう生まれた"もしくは"そう生まれた人と結婚した"から皇族なのだ。
それが天皇制であり、重んじられているのは血統なのだ。
昭和天皇も、明仁親王も徳仁天皇も、天皇になるために何か試験を受けたり、基準をクリアしたり、誰かに選任された訳ではない。
要は皇家に長男として生まれたから天皇になったのだ。

私は昭和天皇のことはよく知らないが、明仁さんも、徳仁さんも柔和で、平和的で、知的で素晴らしい方だと思う。
しかし、繰り返しになるがそうした人材だから天皇になったわけでは無い。天皇になった方が、幸運にも素晴らしい人だったのだ。
逆に言えば、とんでもなくぐうたらで、傲慢で、人の痛みを理解できない、そんな人間が即位することだってあり得るわけだ。
確かに、(こういう表現には抵抗があるが)皇家の血筋と格式高い教育が簡単にそんな人材を輩出させないのかも知れない。しかし絶対は無い。
事実として世界中に存在する(した)王族から、定期的に暴君が生まれてきたことは歴史が証明している。

日本の天皇制があくまで血統に基づいて存在している以上、彼等の資質や人間性を問う議論そのものが私には無駄に見える。
天皇や皇族になるために多くの国民の賛同や納得が必要なら、"血統方式"はそもそも馴染まないはずだ。

だから、①〜③いずれにも言えることだが、この人は駄目だ、あの人は違う、という議論をするのなら
天皇制そのものに反対する方がよっぽど理に適っていると私は思う。
少し強引な理論かも知れないが、正直な感想だ。