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~根源的な平和を追求するということ、それを発信するということ~SUGIZO氏の難民支援活動インタビューから考える

2020年10月、核兵器禁止条約に批准した国と地域が50に到達した。そこから90日が経過した2021年1月22日、当条約は正式に発行された。核兵器の開発、保有、使用を全面禁止する初の国際法規が効力を持ったことは非常に意義深いと思う。

しかし非常に残念なことにこの条約に日本は参加していない。建前としては近隣国の北朝鮮が現実に核を開発保有しているのに、この条約に加わるメリットが無い。実質的にアメリカの傘の下にいる日本がこの条約に参加することは、自分達の安全保障を脅かすことになる、という理論だ。
分からなくは無い、しかし理屈では理解できても世界で唯一の戦争被爆国である我が国がこの条約に参加できないことは中々受け入れられないし、国際的な役割を果たせていないのではと感じる。

誰にとっても基本的には核兵器や武器は、出来れば無い方がいい。しかし現実的にそれらが必要な現状を受け入れることが大人で、理性的な態度だ、というような同調圧力を感じることがある。

本当にそうだろうか?全ての武器が無くなり、平和な世界を望むことはお花畑で、冷笑されるような態度なのだろうか。

こうしたもやもやした感情を取り払ってくれた力強いメッセージを転載する。LUNA SEAのギタリスト、SUGIZO氏の毎日新聞のインタビューだ。SUGIZOさんといえば反原発やSEALDsとの共同活動でも知られる、積極的に政治的発信をするミュージシャンだ。(あと非常に個性の強いギターを弾く人だ!)

「SUGIZOさんが難民支援を続ける理由」と題してYOUTUBEにもアップされている。私はこのインタビューが大好きで、定期的に見ている。

今回のテーマに必要な部分を要約・抜き出ししてみる。

ーSUGIZOさんは反原発の活動や難民支援の活動を20年前から継続して来られたとお聞きしています、その原動力はどこにあるんでしょう?

SUGIZO「原動力…難しいですけど、根本的な話ですよね。超根本的な話ですけど、"未来を諦めてない"  この地球上の全ての人間が、人間だけじゃないね、全ての生き物が、動物も植物も皆がもっと幸せになれるはずだと思っていて。確かに文明の勃興以来ずーっと人々は争っていますけど、いつかそれを卒業できるはずだ、と信じています。今の時代、社会情勢も緊張感があって僕の考え方はある意味とても呑気かもしれない。けど"未来は輝いている"って希望をずっと持っていて、そのための活動と言えますね」

ー世界中で争いが起きていて、それが当たり前のことみたいに麻痺してしまっている部分が社会にありますけど、麻痺してしまっている状態の方がおかしいというか、解決を望む方が自然な姿と言えますね?

「理想の姿だと思う。武器を持たないこと、核を持たないこと、争わないこと、そこが理想だと皆が考えれば。今は抑止力のために武器が必要だという人が多い、確かに危ない状況の時はこちらも身構えなきゃいけない。でもそれって本当に理想なのっていうと、それは止むを得ない行動なわけで。やっぱり"究極の理想"を求めたい。勿論それには順序があるかも知れないけど。なので原発に関しても、核兵器に関しても、難民に関しても、僕らが思う究極の理想を諦めちゃったら本末転倒だと思うので。その気持ちからこういう活動が自然と生まれています」

ーミュージシャンと社会活動の両立に苦労されることはありますか?

「環境、反戦、難民、そうした問題に向き合った時、ミュージシャンとしての自分というより、ただ一市民の自分だったんですね。音楽家としては音楽家としての自分の生き方があって、長く続けてるとどっかで結びついたんですね。最初から一緒だったわけじゃないし、自分の音楽家としての立場を利用しようとしていたわけじゃない。でもいつからか、利用してもいいんじゃないかと思うようになったんです。
何が大変かというと、時間的なこととか物理的なことじゃなくて、特にこの日本だとミュージシャンや表に立つ人間が"政治や社会活動に関わるな"って意見が少なくないことですね。僕にとってはそれこそ言語道断で、表現や芸術というものは過去からずっと社会のうねりと一緒にあったんです。音楽家が、芸術家が、作家が、世の中に対して政治に対して物事を発信するということは当たり前だと思っていて。
日本はいつの間にかそうじゃなくなってしまっていて、いつの間にか自由に発信をしていい、自由に表現、言動を行えるっていうその根本的な部分が、ちょっと揺らいできてしまっている。それに対して僕は屈したくないっていうのはあります。ロックミュージシャンが反体制的で当たり前じゃない、って思ってるんですけど、"ロックミュージシャンが政治に対して発言するなんて信じられません"って人がびっくりするくらい多いんですね。エッ!って思いますね」

ー難民問題について考えるようになったきっかけはありますか?

「娘が小さい頃に、だから20年くらい前ですね、まず子供達をもっと幸せにしてあげたいと思ったんです。その時に同時に難民の子供達、飢餓に苦しむ子供達がダイレクトに僕の中に入ってきた。例えば難民がどうして生まれるのか、またはどうして環境が破壊されるのか、どうして紛争地の子供達が小児がんになるのか。結局それは紛争、戦争の被害に他ならないので。難民の子供の、そして環境の理想的なあり方を考えると、やっぱり反戦、反核に気持ちが傾いていった」

「(難民の在留認定について)特に日本は厳しいですね。元々島国だし異国の人、違った人種の人と交じり合って生活することに、慣れてないですよね。そういう意味で言うと保守的な気持ちを持っている人、年配の方々が抵抗がある気持ちも分かる。日本も色々大変だけど、世界的には経済的にも立場的にも確立されている国が、戦後最悪の難民数を記録している今、難民問題をスルーし続けることは、僕は非常に罪深いと思います」
引用終

根本的な平和を望むこと
自由に発信、表現すること
あるべき社会を模索し続けること
いつの間にかそういう姿勢を見下し冷笑するような雰囲気に包まれている気がする
いつかこの霧が晴れて、輝かしい未来が待ってると私も信じたい。