エンドウさん(仮名)のこと

 スーパーの広い駐車場で買ったばかりのペットボトルのお茶を片手に、スマホを操作していた。好きな音楽を聴こうとしていた。ふと顔を上げると、家族連れで前を通り過ぎていく人に目が行った。「エンドウさん?!」 いや、エンドウさんはもっと小柄だ。もっと似ていたら車を降りて確かめに行ったかもしれない。

 10年ほど前に勤めていた職場にエンドウさんはいた。当時彼は40代前半。あるいはもっと若かったかもしれない。輝くスキンヘッドで口ひげを蓄えていて、初めて会った人は声をかけづらいかもしれない。

 ある日のこと、伝えたいことがあったので彼に声をかけようとした。するとエンドウさんは腕組みをして眉間に皺を寄せて視線をやや下のほうに向けて自席に座っていた。なかなか声をかけづらい雰囲気でどうしたものかとちょっと戸惑っていたら、「ん? 僕に用事?」と眉間の皺が消えて穏やかな表情になった。伝え終えたときにエンドウさんが話し始めた。

 「この髪型(スキンヘッド)はずっと前からで、髪の毛が少なくなってきたときに思い切って剃ったんだ。家内は驚いてしばらく言葉が出なかったよ」と。しばらくして大型連休中に口ひげを伸ばし始めたら自分でも気に入ったし、職場には他にも口ひげを生やしている人もいるからそのまま出勤するようになったらしい。身長は170cmぐらいだが若い頃から何か武術の鍛錬をしてきているかのようにがっしりしている。話し始めると穏やかな人で、時折笑顔を見せながら温和な言葉で語る。他の人に聞いてもエンドウさんが人の悪口を言ったり、マイナスの言葉を言ったりするのを聞いたことが無いという。

 しかし知らない人からすると眉間に皺を寄せたエンドウさんはちょっと恐い人に見えても仕方がない。「いやー、先日さ、電車の中でつり革をを持って立っていたら脚を広げて座っていたその筋の若い衆みたいな人が僕に席を譲ろうとするんで参ったよ」とエンドウさん。「恐い人に見えたのかな。時々そういうことがあるんだよね。」

 眉間に皺を寄せるときは深刻に考え込んでいることはほとんど無くて、大体はどうでもいいことらしい。さっきも「今日は家内と娘が用事で実家に行っているから、今夜は一人で外食。久しぶりにラーメン屋でも行こうかな。どこのラーメン屋がいいだろう。うーむ」と考えていただけらしい。「深刻そうにみえました」と言うと、「全然全然、そんなことないから」と笑う。

 駐車場を通り過ぎていったエンドウさん似の人を見て、エンドウさんとろいろ話したことを思い出した。連絡先ももうわからないけれど、元気でいてほしい。またいつかあの人懐っこくて温和なエンドウさんと話がしたい。美味しいラーメン屋のことを聞いてみたくなった。

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