アナログ派の愉しみ/音楽◎シスタースマイル歌唱『ドミニク』
ザ・ビートルズを超えた
ヒットソングの真実
ドミニカ ニカ ニカ
この呪文のような言葉を舌の上にのせたとたん、たちまち半世紀ほど前に刷り込まれたメロディがよみがえってくるのはわたしだけではないはずだ。双子の女性デュオ、ザ・ピーナッツが世界的なヒットソングをカバーした『ドミニク』はかつて一世を風靡したにもかかわらず、今日まったく耳にしなくなったのは、歌詞につぎのような一節が含まれているからだろう。
ドミニック それは盲の少女
黒い瞳は とざされていた
これが身体的な差別表現と見なされて公共放送や学校教育の場で封印されていったことは想像に難くない。だが、日本特有の事情と別に、いつしかオリジナルの楽曲についてもすっかり忘れられてしまった印象があるのはどうしたわけだろう? そんな疑問を持っていただけに、ステイン・コニンクス監督の映画『シスタースマイル ドミニクの歌』(2009年)が日本公開された際にはさっそく上映館のシネスイッチ銀座へ足を運び、そして、およそ想像もしていなかったドラマに出会った。以下、実話にもとづくという(もちろん、脚色されているにせよ)この作品に沿ってあらましを記したい。
ベルギーのブリュッセルの町のパン屋に生まれ育ったジャニーヌ・デッケルス(セシル・ド・フランス)は両親との折り合いが悪く、レズビアンの親友アニー(サンドリーヌ・ブランク)とも仲違いして家出同然に修道院へ入ってしまう。そこでも勝気な彼女はしばしばトラブルを起こしたが、やがてギターを手にして仲間の修道女たちと歌を楽しむようになり、みずから作詞・作曲した『ドミニク』が評判を呼んで、1963年、30歳の年にレコード・デビューして大成功する。ちなみに、のちにザ・ピーナッツがうたった福地美穂子による日本語詞の上記の個所は、フランス語の原詞ではこんな内容だ。
ジョン欠地王が 英国王だった時代
聖ドミニクは アルビジョン派と戦った
そのとおり、可憐な盲目の少女など登場せず、ジャニーヌが所属するドミニコ会修道院の創設者、中世イタリアで異端派の回心に立ち向かった聖ドミニコの事績を辿ったものだった。だからこそ、カトリック教会は伝道の一環と見なして彼女の音楽活動を許可したうえ著作権料の徴収をもくろみ、レコード会社はその正体をあえて秘匿して「シスタースマイル(スール・スーリール)」の芸名で売り出すことでPR効果を狙ったのだ。
しかし、ジャニーヌはこうしたやり方に不満を募らせて修道院を去ると、フリーの立場でコンサートに取り組んだが、女性の性的自立をテーマとする新曲『黄金のピル』が教会の凄まじい反発を招いてボイコットされる一方で、レズビアンの旧友アニーと同棲をはじめたことからスキャンダルの嵐が巻き起こって八方ふさがりとなっていく。さらには、これまでのレコードの売り上げに対して莫大な税金が課せられたものの、修道院やレコード会社の救済を得られず破産して、最後にはアニーと家に閉じこもり睡眠薬を使って自殺の道を選ぶことに……。
あの『ドミニク』に秘められていた真実に、わたしは上映が終了したあとも座席でしばらく呆然としていたことを思い出す。これほどまでに極端な明暗のコントラストは一体、どうしたわけだろう?
ジャニーヌが世界に送りだしたヒットソングは一曲に終わったが、そのレコードは300万枚を売り上げてエルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズを超えた。いや、たんにレコードの枚数にとどまらず、1960年代のカウンター・カルチャー(対抗文化)を全身で体現したという意味で彼女はロックンロールのスターたちを凌いだのだろう。おそらくは生涯にわたってどこにも居場所を見出すことのできない孤独な女性だったがゆえに。