アナログ派の愉しみ/音楽◎ヴァルヒャ演奏『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』

盲目の芸術家が
われわれに伝えてくるもの


目の不自由な方を見かけるたびに気持ちの引き締まる思いがする。杖を突いたり盲導犬を伴ったりして顔を上げて歩くさまは、まさに英姿というにふさわしい。自分にはとうてい真似できそうもない。五感のなかで最も頼りにし、それだけに最も失うことを恐れるのは視覚だ。もし一切が闇に閉ざされてしまったらきっと正気を保てないだろう。このところとみに視力が衰えてきて、そんな将来の可能性を考えただけでも腋の下から冷たい汗が滲み出てくる……。

 
そんな臆病なわたしにとって、ヘルムート・ヴァルヒャは奇跡の人物のひとりだ。1907年ライプツィヒ生まれ。1歳のとき予防注射のせいで視力障害をきたすが、幼時から本格的な音楽教育を受けて、とりわけオルガンに関心をもつ。16歳で完全に失明したのち、オルガンのコンサートを開いたときには、世間から同情されるのを嫌って盲目であることを伏せたという。その後、ヨハン・ゼバスティアン・バッハと縁の深い地元の聖トーマス教会をはじめ、各地の名高い教会のオルガニストをつとめながら、40歳ごろまでにバッハのオルガンやチェンバロによる鍵盤楽曲のすべてを記憶したという。勘定の仕方にもよるけれど、少なくとも300曲以上になるはずだ。

 
のみならず、ヴァルヒャにとっての宿命は、ドイツの他の芸術家たちと同様、ヒットラーによる第三帝国の勃興と滅亡という疾風怒濤の時代を生きなければならなかったことだ。戦後の焦土と化した母国にあって、ヴァルヒャは1950年からバッハの「オルガン全集」の録音を開始する。さぞや劣悪な条件のもとだったろうが、現在10CDのセットにまとめられているそれらのモノラル録音は、いまの耳で聴いても一途な覇気が伝わってきてわれわれの胸を熱くする。以後もたゆむことなく、ステレオ録音で再度の「オルガン全集」(12CD)と、チェンバロによる「鍵盤楽曲集」(13CD)や名手シェリングとの「ヴァイオリン・ソナタ集」(2CD)などを完成させるという前人未到の業績を残し、あたかも歴史の奔流にもてあそばれたドイツ芸術の栄光を取り戻そうとするかのようだった。

 
そんなヴァルヒャのオルガン演奏はもちろん、トリオ・ソナタや、前奏曲とフーガ、トッカータとフーガ……といった構えの大きな曲も大伽藍が聳え立つような見事さなのだが、わたしが折に触れてプレーヤーにかけるのは「オルゲル・ビュヒライン」という、バッハがおそらく肩肘張らずに手がけたろう小品集だ。とりわけ第40曲のコラール前奏曲『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』は、タルコフスキー監督のソ連映画『惑星ソラリス』(1972年)でも亡き妻への思いに重ねて使われたもので、わずか3分足らずの曲ながらかぎりない哀愁がこぼれ落ちてくる。老練なヴァルヒャがこうした小品たちを慈しんで弾くと、人類が繰り返してきた愚行の道のりにも純白の草花が咲き乱れるかの思いがする。このとき盲目の芸術家は一体、どんな光景を眺めていたのだろうか。

 
後進の育成にも積極的に取り組み、みずからも教育用にコラール前奏曲集全4巻を作曲したヴァルヒャは、晩年のインタビューで「わたしは生徒にも『歌うこと』を要求する」との言葉を残している。1991年、83歳で逝去。

 
大きなハンデを負いながらこうして天命をまっとうする人々の存在は、とかく精神の惰弱に甘んじるわれわれにハッパをかけてくれるだろう。だとしても、最近の新聞が伝える子どもたちの視力の危機的状況について見過ごすことはできまい。文科省が公表した学校保健統計調査(2022年度)によると、裸眼視力1.0未満の児童・生徒の割合は小学生38%、中学生61%、高校生72%と過去最多に達し、とくにゲーム機やスマホの影響が考えられるなかで、このままでは将来的に白内障・網膜剥離などによって失明のリスクが高まるという。小さな記事ではあったけれど、これが意味するところは本来、一面トップ記事にも値するはずだ。
 

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